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『月に憑かれたピエロ』(つきにつかれたピエロ)、あるいは『ピエロ・リュネール』()作品21は、アーノルト・シェーンベルクが作曲した室内楽伴奏による連作歌曲である。 正式名称は『アルベール・ジローの「月に憑かれたピエロ」から三度の7つの詩』()。すなわち、のフランス語詩をがドイツ語訳したものから21点を選び出し、7点ずつ3部に分け曲付けしたものである。 ソプラノの独唱者は、詩の雰囲気を補うために、様式(語るように歌う=抑揚のようなメロディーが伴う、歌うような話し方)によって詩を「歌う」。無調音楽だが十二音技法ではない。シェーンベルクが音列技法を試みるのは、より後になってからである。 1912年10月16日に、ベルリンのコラリオンザールにおいて、「コロンビーナ」に扮したアルベルティーネ・ツェーメ(Albertine Zehme)を主演に迎えて初演が行われた。 ==作曲の経緯と受容== ベルギーの作家アルベール・ジローの詩によるピアノ伴奏の連作歌曲集をツェーメに持ちかけられたことが作曲のきっかけとなった。原詩は1884年に出版されている。シェーンベルクは1912年3月12日に作曲を始め、7月9日に脱稿するが、楽器編成を膨らませて、フルート(ピッコロ持ち替え)、クラリネット(バスクラリネット持ち替え)、ヴァイオリン(ヴィオラ持ち替え)、チェロ、ピアノからなるアンサンブルを構想する。10月16日のベルリン初演を行うまでに、シェーンベルクと主演のツェーメは、40回ものリハーサルを重ねた。反応は予想にたがわず賛否両論であり、アントン・ウェーベルンは初演時の口笛や嘲笑について触れつつも、最終的には「無条件の成功であった」と報告している〔Quoted in Winiarz.〕。歌詞の冒瀆性についていくつか批判がなされたのにシェーンベルクが反論し、「連中が音楽的であったなら、誰一人として歌詞を罵ったりはしまい。それどころか連中は、口笛を吹き吹き立ち去ろうとしたではないか〔Quoted in Hazlewood.〕」と述べた。《月に憑かれたピエロ》の上演は、その後も1912年にドイツやオーストリアで行われた。 続けて徐々に諸外国での演奏も行われた。中でもフランス初演はダリウス・ミヨーが指揮し、女声はアルザス地域圏出身で仏独両語に堪能だったマリア・フロイントが担当し、第1部のみの部分初演は1921年12月15日にパリ農協ホールで、全曲初演は1922年1月22日と3月10日にサル・ガヴォーにて行われ、フランスでのシェーンベルク受容に大きな役割を果たした〔Otto Erich Hartleben,Mark Delaere,Jan Herman: Pierrot lunaire. Albert Giraud, Otto Erich Hartleben, Arnold Schoenberg, 175p.〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「月に憑かれたピエロ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Pierrot Lunaire 」があります。 スポンサード リンク
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