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ピストル康 : ウィキペディア日本語版
堤康次郎[つつみ やすじろう]

堤 康次郎(つつみ やすじろう、1889年明治22年)3月7日 - 1964年昭和39年)4月26日)は、日本実業家もしくは財界人で、滋賀県選出の衆議院議員として政治家でもあった。西武グループ(旧コクド及び旧セゾングループ)の創業者。第44代衆議院議長滋賀県大津市名誉市民。滋賀県平民〔『人事興信録. 7版』(大正14年)つ三一〕。正三位勲一等。「ピストル」の異名を持つ。
五島慶太東急対西武戦争(箱根山戦争伊豆戦争)でライバルとも言われた。
== 来歴・人物 ==

=== 生い立ち ===
滋賀県愛知郡八木荘村大字下八木(のち・秦荘町、現・愛荘町)に農業仲買商・堤猶次郎、みをの長男として生まれた。〔堤家については麻を取り扱ったりしていた農家であったことは確定的であるが、「代々小地主自作農を主業とし、副業として麻布工場などを経営しており、村では一応旧家に属していた」(永川幸樹著『野望と狂気』33頁)「家業は製麻業であったが、数歩(すうたんぶ)の田畑を所有し、一部は小作に出すなど暮らし向きは豊かな方であった。」(立石泰則 著『淋しきカリスマ堤義明』22頁)「いわゆる五反百姓だった。田畑は7だったという説を唱える土地の古老もいたが、いずれにしても貧農である」(猪瀬直樹 著『ミカドの肖像』304頁)などとその暮らし向きについては諸説がある。〕5歳で〔筑井正義『堤康次郎傳』15頁〕父を腸チフスで失い〔立石泰則 著『淋しきカリスマ堤義明』23頁〕、母が実家に戻されたことから、康次郎は妹・ふさとともに祖父・清左衛門、祖母・キリの手で育てられる。
1902年(明治35年)に八木荘小学校高等科を卒業し彦根中学校への入学手続をしたものの、祖父が「せっかくここまで育ててきたのに、彦根のような繁華なところへやって悪い人間になられたら大変だ」と心配した〔『私の履歴書 昭和の経営者群像2』 9頁〕ことから進学を断念して農業に従事する。1903年(明治36年)6月に祖母が死去すると、祖父とともに彦根へ出て米相場を張ったり肥料商を手掛けるも何れも失敗。翌年には八木荘に戻って、耕地整理と土地改良に精を出すことになる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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