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ピッグ・ブリストル作戦 : ウィキペディア日本語版 | ピッグ・ブリストル作戦[ぴっぐぶりすとるさくせん]
ピッグ・ブリストル作戦()とは、1946年5月にオーストラリア空軍が実施した特別輸送作戦である。当時、オーストラリアではペイントブラシの不足により政府の住宅建造計画に支障が出ていた。本作戦はこれを受けて立案されたもので、オーストラリア空軍は重慶から香港へ向けて25トンもの豚毛(Pig Bristle)を輸送した。2週間かけて輸送された豚毛は、無事に香港からオーストラリア本国へと輸送された。 ==背景== 第二次世界大戦後、復員兵の増加などに端を発する宿泊施設不足に対処するべく、オーストラリアの連邦政府および各州政府は共同で公営住宅制度を開始した。しかし、この制度に基づく公営住宅の建築や民間の建築事業は各種資材の不足により大幅な遅れが生じており、不足した資材の品目にはペイントブラシを作る為の豚毛も含まれていた。 当時、オーストラリアに豚毛を輸出していたのは中国のみであった。1946年、ジャーディン・マセソン社はの豚毛を英国政府向け、またチベット国境近くの中国遠隔地からの豚毛をオーストラリア政府向けに調達した。これらの豚毛は国民党政府の首都でもあった重慶に保管され、まもなくして英国およびオーストラリアへの輸出が許可された。これが届けられれば、オーストラリアの豚毛需要を少なくとも数ヶ月は満たしておくことが可能であった〔。 その後、激化の一途をたどる国共内戦の中で共産党軍が重慶から出発する河川船舶への攻撃を開始したことにより、貯蔵されている豚毛を航空機によって運びださねばならなくなったのである。交渉の末、国民党政府ではオーストラリア空軍および英空軍に対し、5月1日から14日までの期間に限り重慶=香港間の往復輸送飛行を許可した。オーストラリア政府では、これらの豚毛を香港へ空輸した後、海路でオーストラリア本国へ輸送する予定であった。国共双方とも中国における外国人の存在を懸念しており、国民党政府では作戦に参加するオーストラリア兵に対し、重慶の飛行場または広州の緊急滑走路以外に着陸した場合は投獄されるという警告を行なった。
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