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ピッツバーグ・スティーラーズ(Pittsburgh Steelers)はNFLに加盟し、ペンシルベニア州ピッツバーグに本拠を置くNFLチーム。AFC北地区に所属している。1970年にNFLとAFLが統合した際AFCに組み入れられた旧NFLの3チーム(他の2チームはクリーブランド・ブラウンズ、ボルチモア・コルツ)のうちの1つである。愛称の由来はピッツバーグはかつて鉄鋼業が盛んだった事から“鉄の男達”から。スーパーボウル制覇6回は、全NFLチーム中最多であり、2度の連覇を達成した唯一のチームである。 QB テリー・ブラッドショー、RB フランコ・ハリス、WR リン・スワンの攻撃陣(1975年の公式戦では、ハリスとロッキー・ブライヤーの2人が1000ヤード・ランを記録)に加え、DT ミーン・ジョー・グリーン、MLB ジャック・ランバート、OLB ジャック・ハム、DB メル・ブラント等による強力なディフェンス陣は「スティール・カーテン」と呼ばれ相手チームに恐れられた。 == 歴史 == === チーム創設から1968年まで === NFLに現存するチームでは5番目に古い歴史を持っている(アリゾナ・カージナルス、グリーンベイ・パッカーズ、シカゴ・ベアーズ、ニューヨーク・ジャイアンツ)。チームは1933年7月8日にアート・ルーニーによって設立された。設立当初はMLBのピッツバーグ・パイレーツと同一名でNFLのイースタン・ディビジョンに所属した。1940年にチームはスティーラーズと改称した。1942年にチームは7勝4敗と初めて勝ち越し、ルーキーのビル・ダドリーはリーディングラッシャーとなった。翌1943年にダドリーや他の多くの選手が第二次世界大戦に従軍したため1943年にはフィラデルフィア・イーグルスと1944年にはシカゴ・カージナルスと共同チームを形成した。1946年にジャック・サザーランドがヘッドコーチとなり復帰したダドリーがラッシング、インターセプト、パントリターンでリーグトップの成績を残しMVPに選ばれる活躍を見せた。1947年には8勝4敗でディビジョンタイトルを獲得しプレーオフに初出場したがフィラデルフィア・イーグルスに0-21で敗れた〔Steelers History 〕。 サザーランドの次にヘッドコーチとなったジョン・ミケロセンは1948年から1951年の4シーズンで20勝26敗2分の成績に終わり、1952年にはジョー・バック(1935年から1936年にもヘッドコーチ)がヘッドコーチに復帰した。1954年にバックが健康上の理由で辞任し後任にはアシスタントコーチのウォルト・キスリング(1939年から1944年にもヘッドコーチ)が就任した〔。 1957年から1964年までの8シーズンはバディ・パーカーがヘッドコーチを務めた。この間の負け越しは3シーズンだけで1962年には9勝5敗でプレーオフに出場したがデトロイト・ライオンズに10-17で敗れた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ピッツバーグ・スティーラーズ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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