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ピッツバーグ交響楽団[ぴっつばーぐこうきょうがくだん]
ピッツバーグ交響楽団(Pittsburgh Symphony Orchestra)は、アメリカ合衆国の主要なオーケストラの一つで、ペンシルベニア州ピッツバーグを拠点とする。長らくオークランド地区(カーネギーメロン大学・ピッツバーグ大学などがある学園地区)のシリア・モスク(Syria Mosque)と呼ばれたビルを本拠地としていたが、1971年9月からはダウンタウンのロウズ・ペン・シアター(Loew's Penn Theater)をハインツ社のH.J.ハインツ2世(H.J. Heinz II)の資金によって改修後ハインツ・ホール(Heinz Hall)と改称された所を本拠地としている。 == 歴史 == 1895年にピッツバーグ芸術協会によって設立され、翌年に最初の演奏会を行なった。初代の首席指揮者はフレデリック・アーチャーであり、合奏力の強化のために、彼によってボストン交響楽団から多くの人材が引き抜かれた。アーチャーが1898年に離任すると、後任指揮者はヴィクター・ハーバートが務めたが、1904年にエーミール・パウアと交替した。この時期から、国外の著名な客演指揮者を招くようになり、エドワード・エルガーやリヒャルト・シュトラウスもその名を連ねている。しかし、1910年に財政難を理由に解散された。1926年の再結成に際して、楽団員は無報酬で事前のリハーサルを行い、翌年の定期演奏会を行なうことができるように、資金を拠出し合った。1937年にオーケストラの再組織に当たって、音楽監督にオットー・クレンペラーが投入され、その指導力によって国際的水準のオーケストラに引き上げられた。 それからの存在感たるや不動であり、フリッツ・ライナー(1938年 - 1948年)やウィリアム・スタインバーグ(1952年 - 1976年)、アンドレ・プレヴィン(1976年 - 1985年)、ロリン・マゼール(1986年 - 1996年)、マリス・ヤンソンス(1997年 - 2004年)が音楽監督を務めてきた。現在はマンフレート・ホーネックが音楽監督、レナード・スラットキンが首席客演指揮者、マレク・ヤノフスキが「オットー・クレンペラー・ゲスト・コンダクター・チェア」を務めている。 2004年に、アメリカ合衆国のオーケストラとしては初めて、ローマ教皇に御前演奏を行なった。おそらくヨハネ=パウロ2世が最後に耳にした、国際的水準のオーケストラだったかもしれない。マーラーの《交響曲 第2番「復活」》を中心とするプログラムで、ヨハネ=パウロ2世は個人的にアンコールを所望したという。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ピッツバーグ交響楽団」の詳細全文を読む
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