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ピノ・ドナッジオ(Pino Donaggio 本名:ジュゼッペ・ドナッジオ (Giuseppe Donaggio) 1941年10月24日 - )は、イタリアの作曲家、シンガーソングライター。 == 来歴 == ヴェネツィアのブラーノ出身。音楽家一族に育ち、10歳でバイオリンを習い始める。後にミラノの音楽学校に編入、14歳でソロバイオリニストデビューを飾り、イ・ソリスティ・ヴェネティに入団。少年バイオリニストとしてクラウディオ・アッバードやクラウディオ・シモーネの指揮でクラシック音楽のコンサートに参加する。 1959年、クラシックからポップ・ロックに転向。1961年のサンレモ音楽祭に出場し、みずから作曲した「コメ・シンフォニア」 ''"Come sinfonia"''で入賞して以来サンレモ音楽祭の常連出場者となる。リリカルで美しいメロディを特徴とするシンガーソングライターとして、ボビー・ソロやジャンニ・モランディとともにカンツォーネブームの一時代を築いた。 1965年のサンレモ音楽祭に出場した際、みずから作曲した「この胸のときめきを」 ''"Io che non vivo (senza te)"''を歌って入賞を果たし、イタリア国内で大ヒットを記録する。1966年にはこの曲をダスティ・スプリングフィールドが“You Don't Have to Say You Love Me”として英語でカバーし、イタリアン・ポップスの範疇に留まらない世界的な大ヒットを果たした〔Pino Donaggio - Biography 〕。この曲は後にエルヴィス・プレスリーなど多くの有名ミュージシャンにカバーされた。 1973年に初めて映画音楽の作曲を担当する。イギリスのニコラス・ローグ監督によるヴェネツィアを舞台にしたスリラー映画『赤い影』 ''"Don't Look Now"''(1973年)の映画音楽作曲家として、ヴェネツィア出身で1970年に「消え行くヴェニス」 ''"Concerto per Venezia"''というカンツォーネをヒットさせていたドナッジオが起用された。『赤い影』における恐怖映画を美しいメロディで彩ったドナッジオの作曲手法が話題となり、以降もドナッジオに対して映画音楽の依頼が相次ぐようになる。その後は次第に歌手から映画音楽作曲家へと活動の重点を移していく。 イタリア映画のみならず、ハリウッド映画にも曲を提供している。特に、『キャリー』 ''"Carrie"''(1976年)、『殺しのドレス』''"Dressed to Kill"''(1980年)などブライアン・デ・パルマのスリラー映画が有名。リリカルで官能的な美しいメロディをストリングス主体のクラシカルな編曲で演奏する流麗な作風が特徴的である。 日本における名前の表記において、映画音楽作曲家としては「ピノ・ドナジオ」と表記される場合が多い。これはドナッジオが初めて映画音楽を担当した映画『赤い影』でのクレジットが「Pino Donnagio」と誤表記されたことに由来する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ピノ・ドナッジオ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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