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『ピンク・レディー汗と涙の大晦日150分!!』(ピンク・レディーあせとなみだのおおみそかひゃくごじゅっぷん)は、1978年12月31日に日本テレビ系列で放送された特別番組(チャリティー音楽バラエティ番組)である。ピンク・レディーの冠番組。 正式タイトルは『輝け!!特別生放送 ピンク・レディー汗と涙の大晦日150分!!〜みんなでしあわせになろうね〜』(かがやけ!!とくべつなまほうそう - みんなでしあわせになろうね)。 ==概要== ピンク・レディーが1年間の総決算の意味で、大晦日、東京・新宿コマ劇場を舞台に、歌と踊りにアニメーションから寄席までを含む、豪華なバラエティーショー〔1978年12月31日付の「東京新聞」テレビ欄。〕。 3年間に渡って放送されたコント55号メインの『コント55号の紅白歌合戦をぶっ飛ばせ!なんてことするの!?』に代わる、日本テレビの『NHK紅白歌合戦』対抗番組で、人気絶頂のピンク・レディーをメインにし、目の不自由な子供たちを客の一部に迎え、今までに無い豪華な構成で送る番組。ゲストもベテランやヤング歌手のほか、コメディアン・スポーツ選手など、多彩な顔触れが揃った。またこの年は、ステレオ放送を始めとする音声多重放送の実用化試験放送が開始(NTVは9月28日に開始。日本初。)した時で、まだ音声多重放送が珍しい時期ではあったが、NTVは新しい媒体が導入されると、それを使った放送を積極的に行う施策を取っていることもあり、当番組もそれに沿ってステレオ放送で行われた。なおピンク・レディーはこの番組のため、この年開催の『第29回NHK紅白歌合戦』の出場を辞退したが、これが後々まで問題を投げかける事になる。 視聴率(ビデオリサーチ・関東地区調べ。以下同様)は8.2%を記録し、前年の『なんてことするの』の6.2%を若干上回ったが〔『読売新聞』1979年1月4日付夕刊、6頁、1979年1月6日付夕刊、7頁。〕、ピンク・レディーの大晦日特番は結局これが最初で最後、そして翌1979年には、コント55号の萩本欽一が再登板し、『欽ちゃんの紅白歌合戦をぶっとばせ!!第1回全日本仮装大賞〜なんかやら仮そう〜』を編成、これが好評となり、以後2015年現在まで継続中の『欽ちゃん(&香取慎吾)の全日本仮装大賞』となる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ピンク・レディー汗と涙の大晦日150分!!」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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