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ピーター・アドルフ・ゼルキン(Peter Adolf Serkin, 1947年7月24日-)は米国のピアニスト。 == 人物・来歴 == 父は大ピアニストのルドルフ・ゼルキンで、母は大ヴァイオリニスト、アドルフ・ブッシュの娘イレーネというニューヨークの音楽一家に生まれる。ピーターのミドルネーム「アドルフ」は、祖父アドルフ・ブッシュにちなんで名付けられたという〔Stephen Lehmann and Marion Farber, Rudolf Serkin: A Life (Oxford, 2003), p. 96.〕。 幼少期はカール・ウルリッヒ・シュナーベルからピアノを習う。1958年、11歳になったピーターはカーティス音楽院で音楽を勉強し始め、ポーランド出身のピアニストミエチスラフ・ホルショフスキ、アメリカ出身のピアニストリー・ルビージや父親ルドルフ・ゼルキンから指導を受けた。1965年に同音楽院を卒業。学んだ教師の中にはその他にエルンスト・オースター、マルセル・モイーズやカール・ウルリッヒ・シュナーベル等もいた。 1959年には、父親ルドルフ・ゼルキン、祖父アドルフ・ブッシュが設立者の一員であるマールボロ音楽祭に出演し、初めてのコンサート出演を果たす。その演奏後、ジョージ・セル率いるクリーヴランド管弦楽団やユージン・オーマンディ率いるフィラデルフィア管弦楽団などを含む、実力のあるオーケストラから出演依頼が届くようになる。 1966年、19歳のとき、グラミー賞にて最優秀クラシック・アーティスト新人賞を受賞。 1968年、結婚し子供が生まれてから間もない頃、ピーターは音楽を演奏することを全く辞める決意をした。そして1971年の冬、彼は妻レジーナと小さい娘のカリーナを連れてメキシコの田舎の小さな町に越した。その地で8ヶ月が過ぎて行った。日曜日のある朝、ピーターは隣家のラジオからヨハン・セバスチャン・バッハの音楽が流れてくるのを聴いた。その音楽を聴いているうちに、「やはり僕は演奏をするべきなのだ、という気持ちが、触知できるほど明らかになっていくのが分かった」と彼は言う。そして休暇を終え、アメリカに帰ると、彼は改めて音楽家となった〔Frank Conroy, Dogs Bark, but the Caravan Rolls On (New York, 2002), 186–195.〕。 1973年には、メシアンの「世の終わりのための四重奏曲」を勉強する為に、リチャード・ストルツマン、アイダ・カヴァフィアン、フレッド・シェリーらと共に現代音楽演奏団体「タッシ」を結成した。同年5月には、西武劇場(現・パルコ劇場)の同劇場オープニング記念講演である第1回「Music Today」(武満徹プロデュース)に出演〔公演情報 - ライブラリ MUSIC TODAY パルコ劇場〕(「タッシ」としてではなく単独でピアニストとして)。また、1978年5月〜6月開催の第5回「Music Today」(於・西武劇場)にタッシとして出演した〔公演情報 - ライブラリ MUSIC TODAY パルコ劇場〕。 今は5人の子供と2人の孫がおり、妻と共にマサチューセッツで暮らしている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ピーター・ゼルキン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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