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ピーター・ベスーン(、1965年4月4日 - )は、ニュージーランドの環境保護活動家。モーターボートによる世界一周の最速記録を保持している。反捕鯨団体シーシェパードの元メンバー。 == 来歴 == *2006年から2008年は、モーターボートのレースに関わる。 :''詳細はアースレース(アディ・ギル号)を参照。 *2009年、2007年にアースレースで航海中に死亡海難事故を起こし、多額の損害補償をしなければならない為、家を担保に資金を作ったり、アースレースを売りに出していた。それを同団体が入手し、同団体に100万ドルを出資したアメリカ人のアディ・ギルにちなんでアースレースを改名し、シーシェパードに加入した。 2010年 *1月6日、日本の調査捕鯨を妨害していたアディ・ギル号は監視船第2昭南丸と衝突した。また、同団体は、船体が真っ二つになったと発表したが、実際には即時沈没は免れ、後に放棄された。 *2月、日本の捕鯨船団日新丸や監視船第2昭南丸に対し酪酸入りの瓶をランチャーで発射し、乗組員数人が飛沫を顔に浴びるなどして負傷させ妨害した。 *2月15日、水上オートバイで監視船第2昭南丸に接近し船内に侵入したため、日本の船員法に基づき、昭南丸の船長の権限で拘束された。第2昭南丸の船長に損害賠償を求める手紙を持っていた。 *4月2日、艦船侵入罪・傷害罪・威力業務妨害罪・銃刀法違反罪・器物損壊罪で起訴された。また、日本人とアメリカ人の4人の弁護人が付いて、訴訟費用はすべて同団体が持った。 *6月、同団体のアディ・ギル号に弓矢を持ち込んだことが、攻撃的だが非暴力的な行動との団体の方針に反するとして、同団体を除名された。しかし、強制送還後にポール・ワトソンが、法廷戦術にすぎなかったとして、除名が撤回された。 *7月7日、全ての罪状を有罪とし、懲役2年・執行猶予5年(求刑懲役2年)の判決が下された〔捕鯨船侵入のベスーン被告に猶予付き有罪判決、東京地裁 〕〔捕鯨事件ベスーン被告、猶予付き有罪判決 〕。 :起訴内容について大筋で認めたが、酪酸入りの瓶を撃ち込んだ傷害罪の公訴事実について、いかなる人にも傷害を負わせる意図はなかったとして無罪を主張、これが裁判の争点とされた。裁判で動機は、1月に監視船第2昭南丸とアディ・ギル号が衝突した責任を船長に問う為と語った。 :そして、ニュージーランドへ強制送還された。帰国後は、著書を執筆していたので執筆を続けたいとしている。 *10月、南極海での反捕鯨活動への復帰を同団体に求めたが、執行猶予中であったこと、監視船第2昭南丸に侵入し、乗組員を負傷させたことについて、彼自身の決断によるものとしたうえで、「ポール・ワトソンの命令に従った」と裁判で「虚偽」の供述をしたことを理由に、同団体は、一切の関係を断絶すると示した。そして、彼の行為はポール・ワトソンを裏切るもので、虚偽の告発に深く失望したと非難した。それに対し、ベスーンは、弁護士の助言に従っただけと話した。〔シー・シェパード:ギル号沈没は自作自演 元船長が暴露〕〔反捕鯨団体が「内輪もめ」 有罪の元船長との関係断絶〕 *10月6日、Facebookに公開レターを投稿し、同団体から脱退すると宣言した。 :理由は、同団体とリーダーであるポール・ワトソンが、不正直であり、道徳的に破綻していること、その悪辣さに気付いたからとしている。 :監視船第2昭南丸との衝突は、世間の同情を得、PR目的でアディ・ギル号をわざと沈没させるように指示されたもので、自作自演だったと暴露した。また、同団体から除名され、その後に法廷戦術にすぎなかったとして除名が撤回された件について、それも嘘だとし、「裁判には何の役にも立ちませんでした。弁護士が言っていましたが、彼らは私を不正直者呼ばわりしていたのです」と語った。そして、同団体の幹部とポール・ワトソンは日常的に嘘をつき、重要な問題についての嘘は、みんなで示し合わせていると非難した。〔Bethune quits Sea Shepherd over lies〕 *11月、反捕鯨団体「アースレース」の設立を発表した。また、これまでに300人以上から支援や協力の申し入れがあった〔反捕鯨新団体に300人支援=SS元メンバーが立ち上げ〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ピーター・ベスーン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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