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ファウスティーノ・アスプリージャ(Faustino Hernán Asprilla Hinestroza, 1969年11月10日 - )は、コロンビア出身の元サッカー選手。元コロンビア代表。ポジションはフォワード。 == 略歴 == 1992年のバルセロナオリンピック南米予選においてブラジルやアルゼンチンといった候補を押しのけて出場権を獲得する活躍を見せると、1992年にイタリアの新鋭パルマACへ移籍。翌1993年3月にACミラン戦では、その当時58試合無敗を誇っていたミランに対しフリーキックから得点を決め1-0で下し記録を阻止する活躍を見せた。1993-94シーズンにSSCナポリから移籍したテクニシャンのジャンフランコ・ゾラとのコンビプレーは絶妙で、2人のパス交換、ワンツー、互いのアシスト等でパルマ攻撃陣の核となり、数年間に渡って名門ユヴェントスやACミランとの間で熾烈な覇権争いを繰り返した。1994-95シーズンにはUEFAカップ決勝でユヴェントスを破り初優勝を成し遂げた。 1995年からはイングランド・プレミアリーグのニューカッスル・ユナイテッドへ移籍したが、絶対的なエースとして君臨していたアラン・シアラーらの牙城を崩せず、際立った活躍はできなかった。 しかし、1997-98シーズンのチャンピオンズリーグではバルセロナ相手にハットトリックを決めて勝利に貢献するなど、能力の高さは見せ付けた。 1998-99シーズンにパルマへ復帰。フランスのオリンピック・マルセイユを破って、2度目のUEFAカップ優勝と7季ぶりのコッパ・イタリア優勝に貢献した。 その後は、ブラジルのパルメイラスを始めとした南米のクラブチームを渡り歩き、2005年に故郷のトゥルアで現役を引退した。 コロンビア代表としては1993年6月6日のワールドカップ・アメリカ大会南米予選、チリ戦で代表デビューを飾った。同年9月5日、敵地のアルゼンチン戦では2得点を挙げるなどで5-0と大勝し世界中を驚愕させた。 この時のカルロス・バルデラマ、フレディ・リンコン、レネ・イギータら個性的な選手を擁したチームは優勝候補の一角にも挙げられたが、初戦で東欧の雄ルーマニアの前に1-3で屈するなどしてグループリーグ敗退に終わった。 素行と言動に問題があるトラブルメーカーとして知られ、パルマ放出後はその才能に関わらず各クラブを転々とする状態が続いていた、また1998年のワールドカップ・フランス大会南米予選パラグアイ戦では相手GKのホセ・ルイス・チラベルトと乱闘騒ぎを起こし退場処分を受けた。 また、監督や協会とのイザコザから、2000年には代表招集を拒否して物議を醸した。 更に、2000年9月には、コロンビア国内で泥酔した末に拳銃を乱射して逮捕されるという事件も起こしている。 2005年を最後に現役を引退し、現在は故郷でサッカースクールを運営している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ファウスティーノ・アスプリージャ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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