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ファシズム批判[ふぁしずむひはん] 戦前日本の右翼・軍部・ファシズム勢力(日本ファシズム)の台頭、社会支配、戦争突入に対して、知識人はいかに抵抗、批判したか、を記述対象とする〔ファシズム勢力が存在するときに、それをどう認識し、どう批判するかに意味があるのであり、戦後になってファシズム研究が進み、方向性が定まった段階では、いくら批判しようが、それは意味のないことである。〕。ファシズムの分析については「ファシズム」を参照。ファシズムへの世界的な抵抗については、「反ファシズム」を参照。
==概要== 戦前の支配勢力・運動・体制をどう規定するかは学問上問題のあるところである。一般にはファシズム、天皇制ファシズム、全体主義、超国家主義、国家至上主義、右翼・軍部主導体制、単なる戦時体制などと規定される。どう規定するのが正しいかは上記各項目を参照のこと〔それら項目間の関係は「ファシズム」を参照。それら項目のうちで最大の問題は戦前戦時下日本をファシズムと規定できるか、できないかである。つまりファシズム存在説とファシズム不在説である。当初は存在説一色であったが、その後不在説が登場してきた。不在説の論点を示す文献として、中村菊男『天皇制ファシズム論』(原書房、1967年、27-40頁)があり、その批判の論点を示す文献に安部博純『日本ファシズム論』(影書房、1996年7-32頁)がある。〕。少なくとも当時の知識人層には、イタリア、ドイツとの関連で、ファシズムと捉える考えが存在した〔当時の出版物に、室伏高信『ファッショとは何か』(1931年)、『ファッショ治下の伊太利』(1931年)、『ファッショかマルクスか』(1932年)、土方成美『ファシズム』(1932年)、佐々弘雄『日本ファシズムの発展過程』(1932年)、長谷川如是閑『日本ファシズム批判』(1932年)、河合栄治郎『ファッシズム批判』(1934年)、今中次麿、具島兼三郎『ファシズム論』(1935年)などがある。〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ファシズム批判」の詳細全文を読む
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