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人名(じんめい)は、特定の人間社会において特定の個人を弁別するために使用される言語的表現又は記号の一つ。 その人物の家族や家系、地域など共同体への帰属、信仰や願い、職掌、あるいは一連の音の繋がりなどをもって、人(ひと)の個人としての独立性を識別し呼称する為に付けられる語。「人名」事典は便宜上、戸籍名や通称などを使用する場合が多い。本項で扱う「人名」とは一般に「正式な名」「本当の名前」といった意を含む。 == 概説 == 名前と人間の関わりは古く、名の使用は有史以前に遡るとされる。姓などの氏族集団名や家族名の使用も西方ではすでに古代ギリシアなどにその形跡があるとされ、東方では周代から後世につながる姓や氏の制度が確立されていることが確認できる。 ある社会においては様々な理由で幼児に名前を付けない慣習が見られる地域もあるが、1989年に国連総会で採択された児童の権利に関する条約7条1項は、「児童は、出生の後直ちに登録される」「ただの出生児から1つの名となる権利を有すべきである (shall have the right from birth to a name)」と定めている。 日本の場合は民法により氏+名という体系をもつ。呼称される場合は、氏のみ・名のみやあだ名、敬称・職名などとの組み合わせ、同一の人名の世襲などがある。氏名は他に、姓名や名字(苗字)と名前ともいう。縦書きにしたとき、氏は上部、名は下部になるため、氏を上の名前、名を下の名前と呼ぶこともある。 後述するように、氏+名という構成は日本の文化に基づいた体系である。人名は、共同体の慣習により異なる名付けの体系を持ち、また、呼称する場合も慣習によって独特の方法を持つことが多い。漢字文化圏において姓と氏、さらには日本における苗字は本来は互いに異なる概念だが、今日では同一視されている。日本でも、明治維新以前は氏(ウヂ:本姓)と苗字に代表される家名は区別されていた。名は名前とも呼ばれる。 人名は、呼ぶ側と呼ばれる側が互いに相手を認識し、意思の疎通をとる際に使われる(記号論)。多くの場合、戸籍など公的機関に登録される名前を本名として持つ。呼び名としては、戸籍名のままや、「さん」、「君」、「ちゃん」等の敬称が付け加えられたり、名前を元にした呼び方、あだ名との組み合わせなどとなることが多い。 名前にはその主要な属性として、音と表記がある。例えば日本人の個人名が外国の文字で表記されることがあるが、これは1つの名前の別表記と考えることができる。逆に、漢字名の場合、複数の読み・音と訓の組み合わせによって読み方が変わることがある。こういった表記、発音の変化に対する呼ばれる側としての許容範囲は様々である〔作家・安部公房は本名「きみふさ」だが、筆名「こうぼう」と読ませるなど、逆に使い分ける場合もある。〕。 また、名は特定の個人を指し示す記号であることから、人名そのものが、自己、自我、アイデンティティ、自分というクオリアに大きく関係するという考え方がある。各国・各文化の歴史を見ても、霊的な人格と密接に結びついていると考えられていたり、真の名を他者が実際に口にして用いることに強いタブー意識を持っていたりする社会は多くあった。 たとえば日本では、実名(諱)がこれにあたる。これは、元服前の幼名(字(あざな))、出家・死去の際に付ける戒名などと合わせて、名を単なる記号として扱おうとしない一つの文化である〔言霊信仰が影響している可能性がある。〕。この文化は近世・近代と実名(諱)(または忌み名)を持つ層が減り、逆に苗字を持つ層が増えるにしたがい(苗字帯刀御免、平民苗字必称義務令)、希薄化してきたと言える。 だが、21世紀初頭の日本においても、名付ける者が名付ける対象に特別な読みを与えることで特別な意味を見い出そうとして名付けたと解釈する限りでの難読名などに見られるように、名に''特別な意味''を与えようとする思いは〔日本では、寿限無の噺において、縁起のよい特別な名を付けようとする笑い話がある。縁起のよい名を重ねたものを名とする実例としては、洗礼名であるが、たとえばモーツァルトのそれがある。すなわちヨハンネス・クリゾストムス・ヴォルフガングス・テオフィルス・モーツァルト (Johannes Chrysostomus Wolfgangus Theophilus Mozart)。3人の聖人の名を冠する。〕、散見されるものである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「人名」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Personal name 」があります。 スポンサード リンク
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