|
ファルハード・マジーディー (1976年6月3日 - 、ラテン文字:Farhad Majidi、) は、イラン・テヘラン出身のプロサッカー選手、元同国代表選手である。ポジションはMF。現在はエステグラルFCに所属している。2010年、マジーディーはアジア年間最優秀選手賞の候補に選ばれ、投票により2位を獲得した。IFFHSにより、2010年度最も人気のあった現役サッカー選手に認定された。 == クラブキャリア == エステグラルで数年プレーした後、マジーディーはSKラピード・ウィーンからオファーを受けた。しかし、オーストリアへの完全移籍ではなかったため、エステグラルはその後UAEリーグのアル・ワスルFCへと移籍させた。 UAEリーグでは同じイラン人のとともに、マジーディーは多くのゴールを挙げ得点王争いを演じた。しかしその後マジーディーは怪我のため戦列を離れ、得点王は獲得できなかった。 マジーディーのキャリアにおいて最も活躍した時期の一つがアル・アインFCへと短期間のローン移籍した期間である。マジーディーはAFCチャンピオンズリーグ2002-03準決勝の大連実徳戦で得点を挙げ、アル・アインFCをAFCチャンピオンズリーグ決勝の舞台に導いた。その後マジーディーはクラブ史上初となるAFCチャンピオンズリーグ (前身のアジアクラブ選手権も含む) の優勝を成し遂げた。 アル・ワスルFCでは5年間プレーし100以上のゴールを決めた。2006年にアル・ワスルを退団し、UAEのクラブアル・ナスルSCに加入した。 2007年2月10日、マジーディーはシーズン終了までアル・アハリ・ドバイと契約をかわした。シーズン終了後、マジーディーはエステグラルと一年契約をかわした。マジーディーはエステグラルとの契約をさらに2年間延長し攻撃的MFとして活躍、2008-09シーズンにはリーグ優勝の原動力となった。彼は2009-10シーズンも好調を維持しチームの得点王及びACLの得点王も獲得した。 2011年12月21日、マジーディーは個人的な事情からエステグラルを離れ、カタールのアル・ガラファSCに加入した〔 Varzesh3.com〕。 マジーディーは2012年9月28日にエステグラルが契約延長を拒否しチームスタッフとしての契約を打診したことでサッカー選手としての引退を発表したが 〔Majidi announced his retirment from football 〕、後にこの発言を撤回、2012年12月18日に18ヶ月の契約を結び再びエステグラルでプレーすることになった。 しかし、2013年10月29日に、契約が残ってるにもかかわらず突如引退を発表した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ファルハード・マジーディー」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Farhad Majidi 」があります。 スポンサード リンク
|