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原理主義(げんりしゅぎ)は英語の「」(ファンダメンタリズム)の日本語訳である。キリスト教の文脈においては「根本主義」と呼称されることが多い。 ==概説== 「ファンダメンタリズム」はもともとアメリカ合衆国の保守的プロテスタントが1920年代に使用したキリスト教の神学用語である。初期のファンダメンタリズムは、当時のプロテスタント主流派のモダニストに対抗した〔島薗 2005, pp. 945-946.〕神学運動であったが、その後、北米のプロテスタント内のある傾向をもった流れ(一般に福音派と呼ばれる)がその名で呼ばれるようになった。 一方、イラン革命(1979年)以降、アメリカのジャーナリズム等において、イスラームの急進的な政治運動に対し、キリスト教のファンダメンタリズムとのアナロジーから「」という用語が使われるようになった。日本にこれが輸入された際「イスラム原理主義」と和訳された。さらにこの表現が流用され、日本のキリスト教界では根本主義と翻訳されていたキリスト教のファンダメンタリズムに対して、キリスト教原理主義という訳語が使われるようになった(主に現在の北米のキリスト教右派に対する呼称として使われる)。他の宗教にも拡大適用されてヒンドゥー原理主義、ユダヤ原理主義といった用法が派生している。 今日、「原理主義」という言葉はマスメディア等において広く流通しており、宗教学や社会科学の文脈においては、聖典を文字通りに受け取ろうとする態度や、世俗主義に反対する傾向などを特徴とする運動や思想を指す言葉として使われるようになっている〔臼杵 2005, pp. 439-440.〕。しかし厳密な定義があるわけではなく、学術的にも通俗的にも原理主義という語の適用範囲は定まっていない。原理主義という場合、基本的に他者からのレッテル貼りであり、往々にして蔑称や差別的表現であって、頑迷で他者の価値観を認めないなどといった否定的な含意を伴って使用されることが多い。そのため、ごく一部の例外を除き当事者によって自称されることはない。 アカデミズムにおいては、原理主義という用語を比較宗教学的・通文化的な分析のための概念として活用しようとする立場、通宗教的な比較のための概念としては厳密性を欠くとしてその有効性を疑問視する立場、原理主義は不適切な差別用語として使われてきたので別の言葉で代替すべきであるとする立場がある〔臼杵 1999, pp. 34-37.〕〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「原理主義」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Fundamentalism 」があります。 スポンサード リンク
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