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ファン・イムホフ号事件 : ウィキペディア日本語版 | ファン・イムホフ号事件[ふぁん いむほふごうじけん]
ファン・イムホフ号事件(ファン・イムホフごうじけん)とは、第二次世界大戦中の1942年1月に、オランダ貨物船「ファン・イムホフ(Van Imhoff)」がインド洋上で日本軍に撃沈された際、同船で護送中のドイツ民間人多数が死亡した事件である。オランダ軍の指示により、オランダ側はドイツ人遭難者の救助を意図的に行わず見殺しにした。 == 背景 == 第二次世界大戦前期の1940年5月、ドイツ軍がオランダに侵攻すると、オランダ領東インドに在住のドイツ人はオランダの植民地政府当局によって全員が抑留された。ドイツ人は収容所に集められて、厳しい処遇を受けた。 1941年12月に日本が参戦して太平洋戦争が勃発すると、オランダ植民地政府は、日本軍の侵攻によってドイツ人が解放されるのを阻止するため、抑留者をイギリス勢力圏へと移送することを決めた。オランダ当局は、船でイギリス領インドなどへと抑留者の移送を開始した。日本軍の蘭印作戦の進展に伴い、護送用船舶が撃沈される危険性も高まってきたが、オランダ軍は輸送の強行を命じた。 護送用船舶の設備は不十分なものであった。オランダ当局は、大量の人員輸送に適した客船などを十分に用意することはできなかった。例えば本件で使用されたKMP社の「ファン・イムホフ」は小型の貨物船で、ドイツ人たちは中甲板や後甲板を有刺鉄線で仕切った狭い区画に2-30人に分けて押し込まれた。救命設備も不足し、救命胴衣だけは全員に配布されたものの、ボートや筏は収容能力が小さかった。ドイツ人たちは、日本軍の攻撃を避けるために、抑留者移送中である旨の識別標識を船に施すよう希望したが、オランダ当局は拒絶した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ファン・イムホフ号事件」の詳細全文を読む
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