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フィオーレのヨアキム : ウィキペディア日本語版
フィオーレのヨアキム

フィオーレのヨアキムラテン語:Ioachim Florensis、イタリア語:Gioacchino da Fiore、1135年 - 1202年3月30日)は、中世イタリア神秘思想家、キリスト教神学者
==略伝==
チェーリコの富裕な公証人の家庭に生まれる。コゼンツァにある学校に通い、その市の司法の仕事に就く。放縦な生活をおくった後、回心して聖地エルサレムへと巡礼し、ギリシアやビザンティウムを旅行してからイタリアに帰国する。南部イタリアのルッツィにあるサンブチーナ修道院(Sambucina)に数年間を過ごし、レンデとコゼンツァを中心に伝導を始めた。カタンザーロに近いコルタレ(Cortale)のシトー会に加入し、修道士として誓約する。コルタレの修道院長に選ばれたが、数年後に孤独を欲して1181年に職務を解かれるようルキウス3世に願い許される。
ふたたび放浪の旅に出て、ロンバルディアをへて1186年ヴェローナに達し、そこでウルバヌス3世に謁見を賜る。そこから南イタリアに帰るとヨアキムの周囲に、聖書の不明瞭な箇所について訪ねてくる弟子たちが集まるようになる。1195年頃、彼は弟子たちを連れてコゼンツァ東方のシラ山(La Sila)へ行き、修道院を建てて「フィオーレ」(Fiore)と呼ぶ。その修道院で死ぬまで瞑想と著述に従う。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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