|
フィギュアスケート()は、スケートリンクの上でステップ、スピン、ジャンプなどの技を組み合わせ、音楽に乗せて滑走する競技。名称はリンクの上に図形(フィギュア)を描くように滑ることに由来するもので、立体造形物のフィギュアとは関係ない。シングルスケーティング、ペアスケーティング、アイスダンスは冬季オリンピック正式競技。また、団体で演技するシンクロナイズドスケーティングも世界選手権が行われている。 == 歴史 == スケートの起源についてははっきりしないが、すでに先史時代には北欧で動物の骨をブレードにしたスケート靴が用いられていた。それが南下してオランダに伝わり、運河の発達により国民各層で行われるようになった。 農民たちは凍った運河の上で目的地にできるだけ早く到着するスケートに熱心であったが、貴族たちの間では競技性よりも優雅さやマナーを重んじた芸術的スケートが好まれた。彼らの滑走様式はオランダ人の弧線滑走という意味の「ダッチロール」と呼ばれるようになり、フィギュアスケートの原型となった。これが、やがてスコットランドに伝わり愛好家らにより図形を描いて滑走する技術が研究されるようになった。一方でフランスやドイツにおいては芸術的な滑走動作が研究された。 その後、1742年にイギリスのエディンバラで世界初のスケーティングクラブが発足して以降、各国においてスケーティングクラブが設立され、その国独自の形態でフィギュアスケート競技会も行われるようになった。初めはヨーロッパ全域で盛んになり、1882年にはウィーンでフィギュアスケート最初の国際大会が開催された。1892年には、スケート競技を国際的に統轄する国際スケート連盟が創立され、1896年から世界選手権が開催されるようになった。ただしこのときは男子シングルのみであり、女子シングルは1906年、ペアは1908年にそれぞれ別個に世界選手権に相当する大会が開かれるようになった。アイスダンスは1952年になって初めて世界選手権の種目として加わった。 日本のフィギュアスケート発祥地は仙台市の五色沼(仙台城の堀)とされるが、その始まりは1897年(明治30年)頃とする説〔【乾坤一筆】羽生「金」に見る仙台に根付く「気勝ち」 (サンケイスポーツ 2014年2月28日)〕と1905年(明治38年)頃とする説とがある〔(仙台市民図書館・せんだいメディアテーク 『要説 宮城の郷土史』) p.146〕〔仙台市 (朝日小学生新聞「政令指定都市ファイル」 2008年3月17日)〕。1922年(大正11年)2月11日、日本初のフィギュアスケート公式試合が下諏訪リンクで行われた(全日本フィギュアスケート選手権参照)。 オリンピックでは、1908年の夏季オリンピックで初めて実施された。夏季オリンピックではこの大会と1920年の大会のみで行われており、1924年にシャモニーオリンピックが開催されてからは毎回冬季オリンピックで実施されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フィギュアスケート」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Figure skating 」があります。 スポンサード リンク
|