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ワルインゲ中山(ワルインゲなかやま)こと、フィリップ・ワルインゲ(Philip Waruinge、1945年2月3日 - )は、ケニアの元プロボクサー。ナイロビ出身。オリンピック2大会連続メダル獲得後、日本でプロとして活躍した。 == 来歴 == 母国ケニアではアマチュアエリートとして鳴らし、1964年の東京オリンピックに出場。1968年のメキシコシティオリンピックでは銅メダルながらヴァル・バーカー・トロフィー(大会最優秀選手)を獲得。1972年のミュンヘンオリンピックでも銀メダルを獲得した。 1973年に来日し、大阪の神林ジムでプロ転向。 A級ライセンス取得後の1973年7月27日、元日本フェザー級王者進藤公雄との8回戦でプロデビュー戦を行い、判定勝利を収めた。この後から10回戦を戦ったが、2戦目は東洋ランカーのジョー・マロンゾに6回TKO負け、3戦目は牛若丸原田に判定負けを喫し、5戦目までは負け越しとなった。 1975年4月7日、日本ジュニアフェザー級王者江藤清一を下しプロ初タイトル獲得。同年6月27日、世界挑戦の決まっていた日本バンタム級王者沼田久美とのノンタイトル10回戦に判定勝利を収めた。 1976年4月3日、パナマにて世界王座初挑戦。WBC世界ジュニアフェザー級王座決定戦でリゴベルト・リアスコと対戦し、8回終了時に棄権・TKO負けで世界王座獲得ならず〔ボクシング・マガジン編集部 『日本プロボクシング史 世界タイトルマッチで見る50年』 ベースボール・マガジン社、2002年〕。 一方、日本王座は4度防衛。 同年11月13日、メキシコでカルロス・サラテが持つWBC世界バンタム級王座に挑戦し、4回KO負け〔。 1977年1月30日、笠原優に2回KO負けを喫し日本王座陥落。7月16日に再戦を行うも9回KO負け。 1978年、網膜剥離のため引退。 その後、東京でサラリーマン生活やスナック経営をしていた。 息子であるトム・ワルインゲも元プロボクサー。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ワルインゲ中山」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Philip Waruinge 」があります。 スポンサード リンク
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