翻訳と辞書
Words near each other
・ フィルドールディフェンス
・ フィルドール・ディフェンス
・ フィルドール防御
・ フィルハーモニア チューリッヒ
・ フィルハーモニア・チューリッヒ
・ フィルハーモニア・チューリヒ
・ フィルハーモニア・フンガリカ
・ フィルハーモニア管弦楽団
・ フィルハーモニー
・ フィルハーモユニーク
フィルバート・バイ
・ フィルパワー
・ フィルヒナー・ロンネ棚氷
・ フィルヒナー棚氷
・ フィルヒョウ
・ フィルヒョー
・ フィルヒョー結節 ウィルヒョー結節
・ フィルフォル
・ フィルブルック美術館
・ フィルベルトン


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

フィルバート・バイ : ウィキペディア日本語版
フィルバート・バイ


フィルバート・バイ (Filbert Bayi、1953年6月23日 - )は、タンザニアの元陸上競技選手。1500mの元世界記録保持者で、1980年モスクワオリンピック3000m障害の銀メダリストである。
== 経歴 ==
1953年イギリス領タンガニーカ(当時)のアルーシャ出身。1972年ミュンヘンオリンピックに19歳で出場、1500m、3000m障害ともに予選で敗退した。1974年のニュージーランドクライストチャーチで開催されたコモンウェルスゲームズ1500mでは、ニュージーランドのジョン・ウォーカーケニアのベン・ジプチョといった強豪ランナーたちを相手に3分32秒2の世界新記録のタイムで優勝したレースは名勝負として有名である。
1975年には、1マイルで3分51秒0の世界新記録を樹立する。これは、アメリカジム・ライアンが1967年から8年間破られずにいた記録を更新するものであった。しかしこの記録は、同年にウォーカーが3分49秒4を記録しすぐに破られる。
バイとウォーカーはその後も何度も対戦する。しかし、1976年モントリオールオリンピックは、タンザニアのボイコットのためオリンピックで対決することはなかった。だが、バイはオリンピックの直前に罹ったマラリアに苦しんでいたため、タンザニアがボイコットしていなくても参加できなかったかもしれなかった。
モントリオールオリンピックには出場できなかったが、バイは4年後のモスクワオリンピックでは3000m障害に出場。8分12秒5のタイムでポーランドブロニスワフ・マリノフスキに次ぐ銀メダルを獲得した。
その他のレースでは、1973年のオールアフリカゲームズの1500mではケニアのキプチョゲ・ケイノと対戦し、金メダルを獲得。1978年の同大会でも連覇を果たしている。
バイは引退後、2003年に学校を設立、タンザニアの若いスポーツ選手の育成、またエイズの撲滅と貧困からの脱出に向けた教育にも力を入れている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フィルバート・バイ」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.