翻訳と辞書
Words near each other
・ フェラーリ333SP
・ フェラーリ512BB
・ フェラーリ599
・ フェラーリ612
・ フェラーリF40
・ フェラーリF430
・ フェラーリピサ
・ フェラーリワールド
・ フェラーリ・125
・ フェラーリ・125F1
フェラーリ・125S
・ フェラーリ・126C2
・ フェラーリ・126C3
・ フェラーリ・126C4
・ フェラーリ・126CK
・ フェラーリ・150° イタリア
・ フェラーリ・150°イタリア
・ フェラーリ・1512F1
・ フェラーリ・156/85
・ フェラーリ・156F1


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

フェラーリ・125S : ウィキペディア日本語版
フェラーリ・125S[ふぇらーり125えす]

フェラーリ・125Sは、イタリアの自動車メーカー、フェラーリの名前で最初に生産されたレーシングスポーツカーである。1947年に3台が生産された。
== 概要 ==
アルファロメオのレースチームから独立したフェラーリが、自動車メーカーとして発表した処女作。車名の"125"とはシリンダーあたりの容積125cc(124.73cc)、"S"はイタリア語のスポルト(スポーツカー)を意味する。なお、前身のアウト・アヴィオ・コストルツィオーニ(''Auto Avio Costruzioni'' )時代の1940年には、ミッレミリア参戦用にティーポ815を製造しており、125Sは「フェラーリの名を冠した最初のモデル」という位置づけにある〔1939年にエンツォ・フェラーリがアルファロメオを退社した際、「4年間はフェラーリ名義でレース活動を行わない」という誓約を交わしたため、ティーポ815にはフェラーリの名が付けられなかった。〕。
第二次世界大戦終結後、創業者エンツォ・フェラーリの元にアルファロメオ時代のエンジニア、ジョアッキーノ・コロンボが訪れ、V型12気筒エンジンの開発を提案。エンツォもこれに同意し、1945年に製造計画が始まった。コロンボが描いた車体・エンジンの設計図をもとに、ジュセッペ・ブッソとルイジ・バッツィが開発を担当した。
1946年9月にエンジンが完成。同年12月の記者会見では125Sに加え、ロードカーの「125GT」とF1参戦用の「125F1」の製造も発表されたが、GT市販計画は実現しなかった。1947年3月12日にはボディ非架装状態で完成し、元レーサーのエンツォ自ら本社のあるマラネッロ近郊で試運転のハンドルを握った。
製造された3台はレース活動後166に再利用されたため現存しない。後年、フェラーリ美術館(ガレリア・フェラーリ)やイベントに展示されているマシンは、当時の図面を元にフェラーリが復元したレプリカである。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フェラーリ・125S」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.