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フェリト・メレン(トルコ語:Ferit Sadi Melen、1906年 - 1988年9月3日)は、トルコ共和国の政治家、首相(1972年5月22日 - 1973年4月15日)。 ==経歴== ヴァン生まれ。1928年にブルサ男子リセを卒業し、イスタンブルの行政学院(、現在のアンカラ大学社会科学学部の前身)に入学。卒業後パリで財政学の教育を受け、帰国後は財務省で勤務した。1943年に国税局長、1946年に歳入局長に就任した。 1950年の総選挙にヴァン選挙区から出馬し、1954年まで国会議員を務めた。1962年には、非議員ながら、イノニュ内閣の財務相に任命され、1964年には上院議員に任命された。 1968年には、中道左派路線への路線転換を進めるイノニュ、エジェヴィトら党執行部に反発して、共和人民党を離党し、信頼党()の設立に参画した。1971年に公正党のデミレル政権を辞任に追い込んだ軍の意向を受けて、エリムを首班とする超党派内閣が組織されると、メレンは国防相として入閣した。翌1972年にエリムが辞任すると、メレンは後継首相として擁立された。 その後、1975年に公正党のデミレルが、国民救済党、民族主義者行動党、共和信頼党と連立政権を樹立すると、メレンも共和信頼党の閣僚として入閣し、再度国防相を務めた。 故郷ヴァン市には、彼の名を冠したヴァン・フェリト・メレン空港がある。 息子のミトハト・メレンも、民族主義者行動党の国会議員として知られる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フェリト・メレン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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