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フェリペ・アルベルティン・ポーリーノ・デル・ギディース(Felipe Albertin Paulino Del Guidice , 1983年10月5日 - )は、ドミニカ共和国・サントドミンゴ出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。シカゴ・カブス傘下に所属。 == 経歴 == === アストロズ時代 === 7月2日にヒューストン・アストロズと契約。 に渡米し、ルーキー級マーティンズビル・アストロズで16試合に登板。2勝2敗1セーブ、防御率5.61だった。 はルーキー級グリーンズビル・アストロズで10試合に登板し、1勝3敗、防御率7.59だった。 はA-級トリシティ・バレーキャッツで13試合に登板し、2勝2敗1セーブ、防御率3.82だった。8月にA級レキシントン・レジェンズへ昇格。A級では7試合に登板し、1勝1敗、防御率1.85だった。オフの11月18日にアストロズとメジャー契約を結び、40人枠入りした。 2月21日にアストロズと1年契約に合意。3月19日にAAA級ラウンドロック・エクスプレスへ異動した。この年はA+級セイラム・アバランチで27試合に登板し、9勝7敗、防御率4.35だった。 3月1日にアストロズと38万ドルの1年契約に合意。3月12日にAAA級ラウンドロックへ異動した。開幕をAA級コーパスクリスティ・フックスで迎え、22試合に登板。6勝9敗、防御率3.62だった。9月4日にメジャーへ昇格し、9月5日のミルウォーキー・ブルワーズ戦でメジャーデビュー。7点ビハインドの4回裏から登板し、3回を投げ6安打(3本塁打)5失点2四球だった。3度目の登板となった9月18日のブルワーズ戦では先発として初めて起用されたが、4回を5安打5失点と打ち込まれ、メジャー初黒星を喫した。9月25日のシンシナティ・レッズ戦では、5回を投げ8安打5失点と再び打ち込まれたが、8点の援護でメジャー初勝利を挙げた。この年は5試合に登板し、2勝1敗、防御率7.11だった。 2月27日にアストロズと1年契約に合意。3月19日に右上腕神経痛で15日間の故障者リスト入りした。8月5日にAAA級ラウンドロックで復帰したが、1試合の登板にとどまった。 2月21日にアストロズと1年契約に合意。3月17日にAAA級ラウンドロックへ異動し、開幕をAAA級で迎えた。AAA級では2試合の登板で、1勝0敗、防御率0.75と好投し、4月18日にメジャーへ昇格。シーズン初登板となった4月19日のレッズ戦では6回を無失点に抑えたものの、その後2試合連続で敗戦投手となり、5月からリリーフに転向。しかし3試合連続で失点したため、5月12日のコロラド・ロッキーズ戦から先発に復帰した。先発再転向後は7試合に登板したが、防御率7.59と振るわず、7月13日にAAA級へ降格した。8月4日に再昇格。しかし同日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦で4.1回を9安打5失点と結果を残せず、8月8日にAAA級へ降格。8月18日にマイク・ハンプトンが故障者リスト入りしたため、リリーフとして再昇格し、9月から先発に復帰したが、5連敗を喫した。この年は23試合に登板し、3勝11敗、防御率6.27だった。 は開幕ローテーションに加わったが、シーズン2試合目の登板となった4月16日から6連敗を記録し、その後も勝ち星に恵まれず、11試合目の登板となった6月4日のシカゴ・カブス戦でようやくシーズン初勝利を挙げた。6月24日に右肩の故障で15日間の故障者リスト入りし、7月31日に60日間の故障者リストへ異動。9月12日に復帰し、リリーフとして5試合に登板した。この年は19試合に登板し、1勝9敗、防御率5.11だった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フェリペ・ポーリーノ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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