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フェリーチェ・アネーリオ : ウィキペディア日本語版 | フェリーチェ・アネーリオ
フェリーチェ・アネーリオ(Felice Anerio (1560年 - 1614年9月末)はイタリア後期ルネサンス音楽の作曲家。より進歩的な弟ジョヴァンニ・フランチェスコともどもローマ楽派の一員である。 ==生涯== ローマ出身で生涯の大半をその地で過ごす。1568年から1577年までジュリア礼拝堂の少年聖歌隊員としてボーイソプラノを受け持つ。ジュリア礼拝堂を去る頃にはアルト歌手になっており、その後1580年まで別の教会で歌っていた。この頃に作曲に手を染め、マドリガーレ集を完成させる。これはフェリーチェ・アネーリオの生涯で唯一の世俗曲である。アネーリオは作曲を始めた頃に、当時ローマできわめて人気のあったルカ・マレンツィオに影響されていたようだ。1584年までイギリス人神学校の楽長に就任。こうした地位は、作曲能力に磨きをかける、かなりの好機となったに違いない。この頃には、受難劇のためにマドリガーレや合唱曲ならびに歌曲を作曲している。1594年にジョヴァンニ・ピエルルイジ・ダ・パレストリーナの後任として、教皇庁聖歌隊の作曲家となり、ローマの作曲家にとって最も輝かしい地位を手に入れた。 1607年かその直後に司祭に叙階され、もう一人のローマ楽派の作曲家、フランチェスコ・ソリアーノと協力して、対抗改革の一環として、ローマ典礼のレスポンソリウムの改変に携わった。
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