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フェルキッシュ()は、フォルク()からの派生語として重要な語である。フェルキッシュは19世紀末から第二次世界大戦終了時までドイツに おいて普通に使われ、当時の出版物と政治において大きな役割を果たした。20世紀の中頃からこの表現は殆ど使われなくなった(独和辞典では古語として扱われている)。しかしながら、ドイツにおいてこの語に合致した運動や政党が2013年‐2014年頃から勃興し、フェルキッシュという語を使った解説記事が増えている。 フェルキッシュという語は現代において人種主義 (レイシズム)という概念に移し替えられたり、反セム主義の一種であると記述されることもある。ドイツ語圏においてフェルキッシュ運動、フェルキッシュ・ナショナリズムという用語も使われている。フェルキッシュは「民族の、国家主義的」と訳される場合もあるが、近代ドイツの歴史と密接につながっているため、英語のナショナリズム () ともエスノセントリズム () とも異なる意味を含んでいる。 == フェルキッシュという語の成立史== 「民族的」と訳される場合もある形容詞フェルキッシュ()は「民族、国民、民衆」と訳される同系の名詞フォルク ()の派生語である。20世紀中頃から、フェルキッシュは古めかしい表現になり、ドイツ本国においても稀にしか使われなかった(古語)。 派生元の語フォルクにおいて歴史的に広い意味を持つ二三の用例が現れていた。社会的に定義された人間集団に関する名称としての軍人 (Kriegsvolk)、民族的集合体としての国民(「 ()」‐東独崩壊時のライプツィヒ月曜デモのスローガン)として登場している。フォルクは19世紀のドイツにおいて、愛国者、愛国詩人エルンスト・アルント、哲学者ヨハン・ゴットリープ・フィヒテに見られるようにフランス革命の反応として使われた。1811年において形容詞フェルキッシュはドイツ人として訳されるドイチュ()に関する注釈として用いられていた。1875年に愛国的著作家は「国民の」と訳されるラテン語に由来するナツィオナール()をドイツ語化した表現としてフェルキッシュを用いた〔Heiko Steuer, Das „völkisch“ Germanische in der deutschen Ur- und Frühgeschichtsforschung, in: Heinrich Beck u. a. (Hrsg.), Zur Geschichte der Gleichung „germanisch-deutsch“. Sprache und Namen, Geschichte und Institutionen, Berlin 2004, S. 357–502, hier: S. 375.〕 Völkischの接尾辞 ''-isch'' は低く見なす意味を示すドイツ語の構成要素である。接尾辞でも ''-lich'' はそのような意味を持たない(参照:''kindisch'' 子供っぽい、幼稚な– ''kindlich'' 子供の、あどけない、天真爛漫な)〔Alle Angaben nach: Günter Hartung, Völkische Ideologie, in: Uwe Puschner/Walter Schmitz/Justus H. Ulbricht (Hrsg.), Handbuch zur „Völkischen Bewegung“ 1871–1918, München u. a. 1996, S. 22–41, hier: S. 23.〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フェルキッシュ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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