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フェルディナント・アウグスト・レオポルト・フォン・ロプコヴィッツ(Fürst Ferdinand August Leopold von Lobkowicz, 1655年9月7日 ヴィーナー・ノイシュタット - 1715年10月3日 )は、ハプスブルク帝国領ボヘミアの貴族、廷臣。侯爵、ザーガン公(1677年 - 1715年)。ヴェンツェル・オイゼビウス・フォン・ロプコヴィッツ侯爵とその2番目の妻でプファルツ=ズルツバッハ公アウグストの娘であるアウグステ・ゾフィーの間の次男。1698年に金羊毛騎士団の騎士に叙任され、神聖ローマ皇帝ヨーゼフ1世の皇后アマーリア・ヴィルヘルミーネの侍従長を務めた。 1677年7月8日(ないし18日)、ナッサウ=ハダマール侯モーリッツ・ハインリヒの娘クラウディア・フランツィスカ(1660年 - 1680年)と結婚し、間に3人の子女をもうけた。 *エレオノーラ(1678年) *レオポルト・クリスティアン(1679年 - 1680年) *フィリップ・ヒアツィント・ヨーゼフ(1680年 - 1737年) - ロプコヴィッツ侯(兄系)、ザーガン公爵 1680年7月17日、バーデン=バーデン辺境伯ヴィルヘルムの娘マリア・アンナ(1655年 - 1701年)と再婚し、間に8人の子女をもうけた。 *ヨーゼフ・アントン・アウグスト(1681年 - 1717年) - ベオグラード包囲戦で戦死 *エレオノーレ・エリーザベト・アマーリア・マグダレーナ(1682年 - 1741年) - 1701年、シュヴァルツェンベルク侯アダム・フランツ・カールと結婚 *マリア・ルドヴィカ・アンナ・フランツィスカ(1683年 - 1750年) - 1703年、トゥルン・ウント・タクシス侯アンゼルム・フランツと結婚 *フェルディナント・ヨハン・フランツ(1685年 - 1686年) *ヨハン・ゲオルク・クリスティアン(1686年 - 1753年) - ロプコヴィッツ侯(弟系) *ヘートヴィカ・ヘンリエッタ(1688年 - 1689年) *アウグスタ・フランツィスカ(1690年 - 1691年) *カール・イグナツ・ボナフェントゥラ(1692年 - 1701年) 1702年12月3日、伯爵の娘マリー・フィリッピーネ(1671年 - 1706年)と3度目の結婚をするが、間に子供の無いまま死別した。 1707年11月16日、シュヴァルツェンベルク侯の娘マリア・ヨハンナ(1689年 - 1739年)と4度目の結婚をし、間に2人の娘をもうけた。 *マリア・アンナ・ルイーザ(1711年 - 1713年) *マリア・エルネスティーナ(1714年 - 1718年) == 脚注 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フェルディナント・アウグスト・フォン・ロプコヴィッツ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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