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フェルディナント・アルブレヒト2世 : ウィキペディア日本語版 | フェルディナント・アルブレヒト2世 (ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公)[ふぇるでぃなんとあるぶれひと2せい]
フェルディナント・アルブレヒト2世(Ferdinand Albrecht II, 1680年5月29日 - 1735年9月2日)はブラウンシュヴァイク=リューネブルク公の1人で、ベーヴェルン公(在位:1687年 - 1735年)。オーストリアの軍人として活躍し、最晩年の1735年にヴォルフェンビュッテル侯になった。ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル=ベーヴェルン公フェルディナント・アルブレヒト1世の四男として生まれた。 スペイン継承戦争では神聖ローマ皇帝レオポルト1世側に就いて戦った。1704年に皇帝の副官に任じられ、1707年には少将に、1711年には准元帥となった。1716年から1718年の対オスマン帝国戦争では、オイゲン公の下でベオグラードやペトロヴァラディンの戦いに参戦し、コマールノ(現スロバキアの町)の要塞の司令官を務めた。1733年には元帥となった。 従兄で舅でもあるルートヴィヒ・ルドルフが1735年3月に死去すると、フェルディナント・アルブレヒトはヴォルフェンビュッテル公国を相続し、元帥の職を辞したが、6ヵ月後に自身も死去、ヴォルフェンビュッテルは長男のカール1世が、ベーヴェルンは弟のエルンスト・フェルディナントが相続した。 == 子女 == 1712年に、従兄であるブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公ルートヴィヒ・ルドルフの娘アントイネッテ・アマーリエと結婚した。2人の間の成人に達した子供は次の通り。 * カール1世(1713年 - 1780年) - ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公 * アントン・ウルリヒ(1714年 - 1774年) - アンナ・レオポルドヴナと結婚、ロシア皇帝イヴァン6世の父 * エリーザベト・クリスティーネ(1715年 - 1797年) - プロイセン王フリードリヒ2世と結婚 * ルートヴィヒ・エルンスト(1718年 - 1792年) * フェルディナント(1721年 - 1792年) * ルイーゼ・アマーリエ(1722年 - 1780年) - プロイセン王子アウグスト・ヴィルヘルムと結婚、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世の母。 * ゾフィー・アントイネッテ(1724年 - 1802年) - ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公エルンスト・フリードリヒと結婚、フランツ(ザクセン=コーブルク=ゴータ家の祖)の母。 * アルブレヒト(1725年 - 1745年) * シャルロッテ(1725年 - 1766年) * テレーゼ(1728年 - 1778年) * ユリアーネ・マリー(1724年 - 1796年) - デンマーク・ノルウェー王フレデリク5世と結婚 * フリードリヒ・フランツ(1732年 - 1758年)
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