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フェルディナンド・マゼラン( 、1480年 - 1521年4月27日)は大航海時代のポルトガルの航海者、探検家であり、ポルトガル人であるマゼランが率いたスペインの艦隊が1522年に史上初の世界一周を成し遂げた。 ポルトガル語名(本名)はフェルナン・デ・マガリャンイス(Fernão de Magalhães )、スペイン語(カスティーリャ語)名はフェルナンド・デ・マガリャネス(Fernando de Magallanes, 名はエルナンドHernandoとも )。スペイン語圏・ポルトガル語圏以外の多くの国では Magellan と綴るのが一般的である〔ツヴァイク(1972)、p.12〕。 英名の発音は「マゲラン」「マジェラン」だが日本語では慣用的に「マゼラン」と呼びならわしている。これにならい、この項における呼称も「マゼラン」で統一する。 == 概要 == マゼランはヨーロッパから東洋の香料諸島(モルッカ諸島)への西回りでの渡航ルート発見を目指して旅立ったポルトガル人航海者である。1519年スペイン王の信任を得てスペイン船5隻の艦隊を率いてスペイン・セビリアを出発したマゼランは南アメリカ大陸南端のマゼラン海峡を発見して太平洋に到達し、マゼランは途中1521年フィリピンで戦死したが、残された艦隊が1522年に史上初めての世界一周を達成した〔増田(1993)、p.2〕〔スペインでは史上初の世界一周の名誉は、(途中で死に、またスペインにとって外国人である)マゼランではなく、最後まで生き残ったビクトリア号のスペイン人船長フアン・セバスティアン・エルカーノらに与えられている。〕〔マゼラン遠征についてもっとも詳細で著名な報告をしたのは艦隊の乗組員で世界一周を達成してスペインに生還したイタリア人アントニオ・ピガフェッタである。ピガフェッタの記録については#マゼランの記録を参照のこと。〕。マゼラン自身は世界一周を成し遂げてはいないものの〔マゼランの記録は確実なものは少ないが、諸説の中には1505-1513年、ポルトガル艦隊の一員として東洋の長期滞在中にフィリピンに到達していて(ポルトガルから東回りでフィリピン)、1519年からの遠征でのフィリピン到達(スペインから西回りでフィリピン)、つまり2つの航海をあわせて世界一周をなしとげている可能性があるという説もある。〕、人類初の世界一周航海(周航)を達成した艦隊は「マゼランの艦隊」として後世に名を残している〔増田(1993)、p.2〕。マゼラン海峡のほかマゼラン星雲〔宇宙情報センター 〕、マゼランペンギン〔マゼランペンギンの紹介 〕、宇宙探査機マゼラン〔Magellan Fact Sheet 〕など多くの物が航海者マゼランの名にちなんで名付けられ、また南米パタゴニア〔 *〕や太平洋の名はマゼランが名付けたとされる〔ツヴァイクの伝記など後年の通説ではマゼランが到達した大洋でマゼランは一度も嵐に合うことなく渡り切り、太平な海であることからマゼランが「太平洋」と命名したとなっている-ツヴァイク(1972)、p.203。が、しかし、マゼラン艦隊の唯一の生き残り艦であるビクトリア号が帰国してまもなくエルカーノら乗組員からスペイン王の秘書トランシルヴァーノが聞き取りまとめた調書には太平洋と言う言葉はなく、エルカーノらは彼らが航海した大洋をバルボアが命名したのと同じMar del Sur「南の海」と呼び太平洋とは呼んでいない-ピガフェッタ(2011)、pp.292-297。ピガフェッタはその記録でマゼランや自分達が航海した大洋をMare Pacifico「太平洋」と呼んでいるが、ピガフェッタの記録にはマゼランが太平洋と命名したとの記述はない-ピガフェッタ(2011)、pp.15-254。太平洋の命名者がマゼラン艦隊の誰かであるのは確実であるが、それがマゼランなのかピガフェッタなのかそれともそれ以外のだれかなのかは分からない。〕。マゼランの功績は太平洋の広大さの発見により地球の概ねの大きさを示し、世界の地誌の確立に大きく貢献したことである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フェルディナンド・マゼラン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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