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フェルナンド・アントニオ・エイバッド(Fernando Antonio Abad , 1985年12月17日 - )は、ドミニカ共和国・ラ・ロマーナ州ラ・ロマーナ出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。現在は、MLBのミネソタ・ツインズに所属している。 日本ではフェルナンド・アバッドと表記されることもある。 == 経歴 == === アストロズ時代 === 12月12日、ヒューストン・アストロズと契約。 はルーキー級ドミニカン・サマーリーグで15試合に登板。うち11試合で先発を務め、5勝・防御率1.32の好成績を記録した。 ルーキー級、9月にはA-級でプレイし、合計19試合に登板した。53.0回を投げたが、防御率は4.25で、WHIPなども前年に比べると悪化した。 はA級レキシントン・レジェンズで、全てリリーフとしてチーム最多の45試合に登板。防御率3.30・WHIP1.19と、一定の結果を残した。この年は夏に調子を上げ、6月終了時点での成績は26試合・防御率4.12だったが、7月以降は19試合・防御率2.20だった。 は開幕をA+級ランカスター・ジェットホークスで迎え、全てリリーフとして41試合・82.2回を投げた。防御率は4.14とさほど良い数字ではなかったが、与四球を8に抑えたこともあり、WHIPは1.04という出色の数字だった(チームの全投手の平均WHIPが1.61)。8月下旬にAA級コーパスクリスティ・フックスへと昇格し、先発として3試合に登板した。うち9月2日の試合では、わずか62球で6回を投げ、被安打1・与四球1・無失点に抑えるという好投を見せた。 はAA級コーパスクリスティで先発として4試合に登板し、4試合全てで5回以上を投げ切ったが勝ち星はつかなかった。その後はリリーフに回り、7月には登板した4試合で連続して勝利投手となるという珍事もあった。7月25日にメジャーへ昇格し、7月28日のシカゴ・カブス戦で、8対1とリードした9回表にメジャー初登板を果たした。先頭打者の福留孝介に四球を与えるなど、1アウト一・二塁のピンチを招いたが、結果的に1回を無失点に抑えてこの試合を締めくくった。その後、一時期AAA級へと降格するも、8月20日のフロリダ・マーリンズ戦からは再度メジャーで投げることとなった。この試合では0対7とリードされた8回裏に登板し、5番打者のジャンカルロ・スタントンからMLBでの初三振を奪ったが、続く6番コディ・ロスと、7番エクトル・ルナには連続で本塁打を浴び、MLBでの初被本塁打と初失点も記録した。 続く8月24日のフィラデルフィア・フィリーズ戦からは8試合連続で無失点に抑えるなど概ね好投を続け、9月以降はチームが戦った30試合中17試合に登板するという大車輪の働きを見せた。9月だけで6ホールドを記録し〔、シーズンでは22試合・防御率2.84・WHIP1.00という成績だった。 は自身初となる開幕ロースター入りを果たした。左のワンポイントリリーフに近い形で短いイニングを任されたが、失点を喫するケースが重なり、5月16日のアトランタ・ブレーブス戦で早くも4敗目を喫した。この試合後にAAA級へと降格し、6月16日のピッツバーグ・パイレーツ戦でメジャー復帰を果たす。ここから6試合は、5.1回を投げ、ヒットを打たれながらも防御率1.69に抑えていた。しかし、復帰後7試合目の登板となった7月2日のボストン・レッドソックス戦では、2点ビハインドの8回表に登板すると、先頭打者から3連打を浴びて無死満塁とし、犠牲フライと3点本塁打を許して一挙に4点を失ってしまった。これでメジャーでの防御率は7.32へと跳ね上がり、再びマイナーへと降格。シーズン終了まで20試合に登板したが、この間の防御率は5.12と好調を取り戻すことが出来ず、メジャーでの再度の登板の機会もなかった。 はレギュラーシーズン中3度にわたってAAA級に降格し、その都度MLBに再度昇格するという、動きの多いシーズンとなった。この年も開幕から専らリリーフとして登板していたが、8月にマイナーリーグで3試合に先発登板したのを機に、自身初めてメジャーでも先発を務めることとなった。しかし、8月25日から9月24日にかけてメジャーで6試合に先発登板するものの、5回を投げ切ったのが1試合だけで、かつ全ての試合で敗戦投手となるなど、この試みは上手くいかなかった。結果として、先発として登板するまでは30試合・防御率3.86という成績だったが、シーズン終了時には防御率が5.09となってしまった。オフの11月1日にFAとなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フェルナンド・エイバッド」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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