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フェルナンド・デ・ラ・セルダ : ウィキペディア日本語版
フェルナンド・デ・ラ・セルダ
フェルナンド・デ・ラ・セルダ(Fernando de la Cerda, 1255年10月23日 - 1275年7月25日)は、カスティーリャ王国の王太子。の祖。父はカスティーリャ王アルフォンソ10世、母はアラゴンハイメ1世の娘ビオランテサンチョ4世の兄。生年は1253年説もある。
1268年フランスルイ9世と王妃マルグリットの娘ブランシュと結婚、2人の男子を儲けたが、1275年、父に先立ってシウダ・レアルで死去した。フェルナンドの早世などが原因となり、弟サンチョが父に対して反乱を起こし、1282年に王位を奪ってサンチョ4世として即位した。
== 子供 ==
# アルフォンソ(1270年 - 1324年)
# フェルナンド(1275年 - 1322年) - 娘のブランカ・ヌニェス・デ・ララがカスティーリャ王族フアン・マヌエルと結婚。娘マリア(1379年没)は、1336年アランソン伯シャルル2世と結婚。
孫娘ブランカとフアン・マヌエルとの間の曾孫フアナ・マヌエルがサンチョ4世の曾孫エンリケ2世の王妃となり、フアン1世を生んだことから、トラスタマラ家はフェルナンドの血も引いている。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フェルナンド・デ・ラ・セルダ」の詳細全文を読む



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