翻訳と辞書
Words near each other
・ フェルナンド・ラマス
・ フェルナンド・リックセン
・ フェルナンド・リョレンテ
・ フェルナンド・ルイス・レッキ
・ フェルナンド・ルイス・ローザ
・ フェルナンド・ルゴ
・ フェルナンド・ルシオ・ダ・コスタ
・ フェルナンド・ルーカス・マルチンス
・ フェルナンド・ルーゴ
・ フェルナンド・レイ
フェルナンド・レドンド
・ フェルナンド・レマーチャ
・ フェルナンド・ロイグ
・ フェルナンド・ロイグ・アルフォンソ
・ フェルナンド・ロドニー
・ フェルナンド・ロドリゲス
・ フェルナンド・ロペス・グラサ
・ フェルナンド・ロペス=グラサ
・ フェルナンド・ロペス=グラーサ
・ フェルナンド・ヴァレンスエラ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

フェルナンド・レドンド : ウィキペディア日本語版
フェルナンド・レドンド

フェルナンド・カルロス・レドンド・ネリFernando Carlos Redondo Neri, 1969年6月6日 - )は、アルゼンチンブエノスアイレス出身の元同国代表サッカー選手。現役時代のポジションはピボーテ
== 経歴 ==
1969年ブエノスアイレスの中流階級の家庭に生まれる。少年時代はフットサルでボールに慣れ親しんだという。当時憧れていたサッカー選手はリカルド・ボチーニであった。
10歳の時にアルヘンティノス・ジュニアーズの下部組織に入団。1985年9月29日、対ヒムナシア・フフイ戦にて15歳でトップチームデビュー。程無くしてレギュラーポジションを得た。1990年に自由契約扱いとなり、スペインのCDテネリフェを移籍先に選ぶ。
テネリフェではアルゼンチン人監督のホルヘ・バルダーノに重用され、UEFAカップ出場を経験した。1994年にバルダーノがレアル・マドリードの監督に就任すると、レドンドもレアル・マドリードに移籍した。
レアル・マドリード移籍後も時折怪我に見舞われたものの、バルダーノやファビオ・カペッロユップ・ハインケスなどの元でプレーした。レアル・マドリードに在籍した6シーズンの間に、リーガ・エスパニョーラ優勝2回、UEFAチャンピオンズリーグ優勝2回、インターコンチネンタルカップ優勝1回を経験。1999-2000シーズンのUEFAチャンピオンズリーグは主将としてチームを牽引。在任中、オールド・トラフォードで行なわれた準決勝・対マンチェスター・ユナイテッドFC戦における、ドリブル突破から一発のヒールキックでヘニング・ベルグを抜き去り、タッチライン際からのスルーパスでラウル・ゴンサレスの決勝ゴールをアシストした。マンチェスター・ユナイテッドの監督であるアレックス・ファーガソンはこの試合の後、「あの選手のブーツには磁石でも入っているのか?」と感嘆の声を上げた〔One-touch perfectionist 〕。大会を通してフル回転したレドンドは、レアル・マドリード史上初となるチャンピオンズリーグMVPに輝いた。
フロレンティーノ・ペレスが会長に就任した2000年オフシーズン、1,800万ユーロの移籍金でイタリア・ACミランへ移籍。しかし移籍直後、シーズン前のトレーニング中に右膝の靭帯を断裂。合併症の手術等も含めて復帰までに2年の歳月を要した〔「特別な夜」に臨むレドンド
。その間、高額のサラリーが契約上保証されていたにも関わらず、「チームに貢献してからもらう」と言って休養中のサラリーを全額返還したというエピソードがある〔Football knowledge: Players who fell short of a century of caps 〕。2003年3月12日のUEFAチャンピオンズリーグレアル・マドリード戦にてスターティングメンバーとしてサンティアゴ・ベルナベウに帰還。後半79分にアンドレア・ピルロとの交代でピッチを去る際には、スタンドからスタンディングオベーションが送られた。ミランはチャンピオンズリーグ制覇、スクデット獲得とタイトルに恵まれるが、レドンド自身は全盛期の輝きを取り戻すことはなく、2004年のシーズン終了をもって34歳で現役を退いた。
引退後はブエノスアイレスに住み、レアル・マドリード関連のチャリティーマッチなどに時折顔を出している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フェルナンド・レドンド」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.