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フェルナンド・カルロス・レドンド・ネリ(Fernando Carlos Redondo Neri, 1969年6月6日 - )は、アルゼンチン・ブエノスアイレス出身の元同国代表サッカー選手。現役時代のポジションはピボーテ。 == 経歴 == 1969年、ブエノスアイレスの中流階級の家庭に生まれる。少年時代はフットサルでボールに慣れ親しんだという。当時憧れていたサッカー選手はリカルド・ボチーニであった。 10歳の時にアルヘンティノス・ジュニアーズの下部組織に入団。1985年9月29日、対ヒムナシア・フフイ戦にて15歳でトップチームデビュー。程無くしてレギュラーポジションを得た。1990年に自由契約扱いとなり、スペインのCDテネリフェを移籍先に選ぶ。 テネリフェではアルゼンチン人監督のホルヘ・バルダーノに重用され、UEFAカップ出場を経験した。1994年にバルダーノがレアル・マドリードの監督に就任すると、レドンドもレアル・マドリードに移籍した。 レアル・マドリード移籍後も時折怪我に見舞われたものの、バルダーノやファビオ・カペッロ、ユップ・ハインケスなどの元でプレーした。レアル・マドリードに在籍した6シーズンの間に、リーガ・エスパニョーラ優勝2回、UEFAチャンピオンズリーグ優勝2回、インターコンチネンタルカップ優勝1回を経験。1999-2000シーズンのUEFAチャンピオンズリーグは主将としてチームを牽引。在任中、オールド・トラフォードで行なわれた準決勝・対マンチェスター・ユナイテッドFC戦における、ドリブル突破から一発のヒールキックでヘニング・ベルグを抜き去り、タッチライン際からのスルーパスでラウル・ゴンサレスの決勝ゴールをアシストした。マンチェスター・ユナイテッドの監督であるアレックス・ファーガソンはこの試合の後、「あの選手のブーツには磁石でも入っているのか?」と感嘆の声を上げた〔One-touch perfectionist 〕。大会を通してフル回転したレドンドは、レアル・マドリード史上初となるチャンピオンズリーグMVPに輝いた。 フロレンティーノ・ペレスが会長に就任した2000年オフシーズン、1,800万ユーロの移籍金でイタリア・ACミランへ移籍。しかし移籍直後、シーズン前のトレーニング中に右膝の靭帯を断裂。合併症の手術等も含めて復帰までに2年の歳月を要した〔「特別な夜」に臨むレドンド 〕 。その間、高額のサラリーが契約上保証されていたにも関わらず、「チームに貢献してからもらう」と言って休養中のサラリーを全額返還したというエピソードがある〔Football knowledge: Players who fell short of a century of caps 〕。2003年3月12日のUEFAチャンピオンズリーグレアル・マドリード戦にてスターティングメンバーとしてサンティアゴ・ベルナベウに帰還。後半79分にアンドレア・ピルロとの交代でピッチを去る際には、スタンドからスタンディングオベーションが送られた。ミランはチャンピオンズリーグ制覇、スクデット獲得とタイトルに恵まれるが、レドンド自身は全盛期の輝きを取り戻すことはなく、2004年のシーズン終了をもって34歳で現役を退いた。 引退後はブエノスアイレスに住み、レアル・マドリード関連のチャリティーマッチなどに時折顔を出している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フェルナンド・レドンド」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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