翻訳と辞書
Words near each other
・ フエラムネ
・ フエルサ2011
・ フエルサ・ゲレーラ
・ フエルテア目
・ フエルテベントゥラ島
・ フエルテベントゥーラ島
・ フエルテ川
・ フエルト
・ フエルミラー
・ フエルーちょ
フエロ
・ フエンカラル・エル・パルド
・ フエンカラル=エル・パルド
・ フエンカリエンテ
・ フエンテ
・ フエンテアルビージャ
・ フエンテス
・ フエンテス・デ・レオン
・ フエンテラビア
・ フエンテ・デ・カントス


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

フエロ : ウィキペディア日本語版
フエロ

フエロ(, , 複数形はフエロス)は、中世から19世紀のスペインにおいて、習慣や慣習に由来する社会的慣行が法的価値を持つようになった規範、または国王などの統治者が所与の領域を治めるに際して当該領域やその住民に譲与した特権のこと〔関ほか(2008)、pp.343-345「フエロス体制」〕〔萩尾ほか(2012)、pp.71-75「フエロス体制」〕。ブルボン朝以後のフエロは後者を指した〔。日本語では地方特権地方特殊法地方特別法地域特別法などと訳されるが〔萩尾ほか(2012)は「地方特権」、渡部(2004)は「地方特殊法」、立石博高『スペイン・ポルトガル史』山川出版社、2000年は「地方特別法」、ヴィラール(1993)は「地域特別法」、レイチェル・バード『ナバラ王国の歴史』狩野美智子訳、彩流社、1995年は「法」と訳している。〕、訳語は定まっていない。ラテン語フォルム(forum)〔古代ローマの公共広場のこと。政治集会などが行われた。〕に由来し、カタルーニャ語ではフル(Fur, )、ガリシア語ではフォロ(Foro, )、バスク語ではフォル(Foru, )と呼ばれる。
カスティーリャ王国スペイン帝国においてはほとんどの町や共同体がフエロの諸特権を享受し、国王の受け入れがたい行動や命令に抗うための地方の防御策がフエロだった〔ケイメン(2009)、p.15〕。フエロの維持はカスティーリャ王国・スペイン帝国の安定や一体化に重要な役割を果たしており、1707年にスペイン帝国がアラゴン王国バレンシア王国のフエロを廃止した際には、スペイン帝国内部のアラゴン連合王国諸国とつながりの深い貴族集団から抗議の声が上がったほどだった〔ケイメン(2009)、pp.23-24〕。特にバスク地方のフエロが有名であるため、ここではバスク地方のフエロについて述べる。バスク地方のフエロは中世後期以後に編纂され、15世紀から17世紀にかけて法典化されたが〔、第一次カルリスタ戦争後の1839年に縮小され、第三次カルリスタ戦争後の1876年に撤廃された〔。
== 歴史 ==

=== フエロの成立と法典化 ===
824年、フランク王国軍を破ったバスク人パンプローナを中心としてナバーラ王国を建国し、11世紀前半のサンチョ3世の治世にはカスティーリャ伯領からアラゴン伯領レオン・アストゥリアス王国ガスコーニュ地方までを支配下に置く広大な王国となった〔萩尾ほか(2012)、pp.66-70「歴史舞台への登場」〕。1181年にはドノスティア=サン・セバスティアンが、1300年にはビルバオが建設され、特にビルバオは免税特権を基にフランドル地方に向けた輸出貿易港として栄えた〔。
1200年頃までにはアラバギプスコアが、1379年にはビスカヤカスティーリャ王国に併合され、ナバーラ王国として独自の政治的覇権を確立していたナバーラも1512年にカスティーリャ王国に占領された〔関ほか(2008)、pp.340-343「『バスク地方』の形成」〕。しかしバスク地方はカスティーリャ王国に併合された後も、政治的独立、国税免除、兵役免除などを保った〔。14世紀以後に編纂された政治面・社会面での規範に加えて、カスティーリャ王国起源のフエロ・レアルに民事上の規範を求め、1526年にはビスカヤでヌエボ・フエロ(新フエロ)が、1696年にはギプスコアでコディゴ・ヌエボ(新法典)が策定された〔。アラバでは統一された法典は存在せず、またスペイン領バスク3領域、バスク7領域に共通するフエロも存在しなかったが〔、それぞれのフエロは共通の特徴を有した。1716年にはスペイン・ブルボン朝が新組織王令を公布したが、アラバ、ビスカヤ、ギプスコア、ナバーラの4領域は王令の免除地域としてフエロの存続を認められ、16世紀から17世紀に策定されたこれらの法典が、旧来からの慣習法に代わる基本的枠組みとなった〔。カスティーリャ王国の国王はビスカヤ領主に就任するとゲルニカに出向き、ゲルニカのオークの木の前でフエロの遵守を宣誓する義務を負っていた〔。1839年まではこの宣誓なしにはビスカヤ領主として認められなかった〔アギーレ(1989)、p.7〕。1700年にはフェリペ5世が即位してボルボン朝が成立するが、即位に反対したカタルーニャ君主国バレンシア王国アラゴン連合王国でフエロが撤廃されてカスティーリャ化したのに対して、フェリペ5世に与したナバーラ王国とバスク諸県はフエロと政治的諸機関の存続が許された〔川成ほか(2013)、p.104〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フエロ」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.