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フォート・オーガスタス(Fort Augustus)は、スコットランドのハイランド地方にあるネス湖の南西端に位置し、Boleskine and Abertarff のパリッシュに属している集落。2001年の時点で、646人ほどの人口があった〔www.highland.gov.uk 〕。村の経済は、観光に大きく依存している。 == 歴史 == 現在の村のスコットランド・ゲール語における名称は ''Cill Chuimein'' であるが、18世紀はじめまでは ''Kiliwhimin'' という名で知られていた。1715年のジャコバイトの反乱以降、現在のフォート・オーガスタスに改名された。かつての地名の語源として広く信じられている話によれば、かつて当地に教会を建てたアイオナ島の聖クメイン (Saint Cummein of Iona) に由来する命名であるという〔am baile - Fort Augustus 〕。ほかにも、アイオナ島に2人いた修道院長のひとりが、スコットランドの氏族のひとつであるコミン氏族 (the Comyn) 出身で、その徽章にクミンに言及した ''Lus mhic Chuimein'' という言葉が記されており、これに由来する ''Ku Chuimein'' という名がこの村のもともとの名であるとする説〔Clan Comyn, Cumming 〕や、ロッハバー (Lochaber) にいた最後のコミン氏族にちなんで ''Cill a' Chuimein''(コミン氏族の故郷)とする別説がある〔MacMillan 3 〕。 1715年のジャコバイトの反乱後、将軍ジョージ・ウェイド (George Wade) は1729年から1742年までかけて当地に城砦を築き、時のイギリス王ジョージ2世の3男カンバーランド公ウィリアム・オーガスタスにちなんでフォート・オーガスタス(オーガスタス砦)と名付けた。ウェイドは、この新しい駐屯地の周辺に町を作り、ウェイズバラ (Wadesburgh) と名付けようと計画していた〔Caledonian Mercury 1st August 1727〕。やがて集落は成長したが、その名は砦の名からとられることになった。この砦は、カロデンの戦い直前の1745年4月に、ジャコバイト側によって攻め落とされた。 1867年に砦はラヴァット家 (the Lovat family) に売却されたが、ラヴァット家は1876年に砦と周辺の土地をベネディクト会に寄託した。この修道会によってフォート・オーガスタス修道院 (Fort Augustus Abbey) が設けられ、後には附属学校も設けられた。附属学校は、スコットランドにおける教育制度の改革によって志願者が減少したために、1993年に閉校となった。修道会は、トニー・ハームスワース (Tony Harmsworth) を雇い〔Tony Harmsworth's Loch Ness Information Website 〕、施設をスコットランド最大の私設文化遺産センターに改装して1994年から1998年まで運営したが〔Loch Ness, Nessie & Me (2011) 〕、建物の維持に十分な収益を上げることは出来なかった。 結局、修道会は寄託を返上してラヴァット家に不動産を返し、ラヴァット家はテリー・ナトキンス (Terry Nutkins) にこれを売却した。ナトキンスは既に、1718年に建設された旧 Kilwhimen Barracks の4棟の兵舎のひとつの跡地に建つラヴァット・ホテル (the Lovat Hotel)〔The Lovat Hotel Fort Augustus 〕を所有しており、その場所は、かつての砦の西の城壁部分にあたり、壁には銃眼も穿たれていた。ラヴァット・ホテルは、もともとは駅前ホテルとして建てられたものであった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フォート・オーガスタス」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Fort Augustus 」があります。 スポンサード リンク
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