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ジーザス要塞(英語:Fort Jesus、ポルトガル語:Jesus de Mombaça)は、ケニア・モンバサにある要塞である。1593年、スペイン王・フェリペ2世の命令によって建設された。2011年、UNESCOの世界遺産に登録された。 == 歴史 == モンバサは、現在のケニア東部の都市で、インド洋に面する港町である。東アフリカでは最古級の港町であり、1331年には、イブン・バットゥータが訪問したことでも知られる。東アフリカの交通の要衝であり、アジア、アラビア、東アフリカ各地から物産が集散した。それがゆえに、インド洋の支配を目指したポルトガルは、モンバサの支配を計画した。 1500年からの第一次攻撃、1528年からの第二次攻撃の後、1589年からの第三次攻撃でついに、モンバサは、ポルトガル(当時は、スペイン・ポルトガル同君連合)の手に落ちた。1593年より、フェリペ2世の命令により、イタリア人のジョヴァンニ・バティスタ・カイラティ(Giovanni Battista Cairati)の指導のもと、ジーザス要塞の建設が開始された。要塞の形は、「神の完全なる創造物である」人間の形を模したものであり、ルネサンスの時代背景がこの要塞に残っている。 もっとも、ポルトガルの海上の覇権は17世紀に入ると、イギリス、オランダといった西ヨーロッパ勢およびオマーンの挑戦を受けることとなり、1678年には、ポルトガルの北東アフリカにおける唯一の拠点となってしまった。1698年12月には、ついに、ポルトガルは、ジーザス要塞の放棄を決定し、その後、33ヶ月間、ジーザス要塞は、オマーンが支配することとなった。その後、ポルトガルが1728年に一度、ジーザス要塞を奪還することに成功したが、ポルトガルの奪還は18ヶ月で終わり、再度、オマーンが保有することとなった。オマーンの支配は、イギリスの植民地化が完成する1885年まで続いた。イギリス統治下のジーザス要塞の用途は、牢獄であり、1958年の国立公園化まで継続した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジーザス要塞」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Fort Jesus 」があります。 スポンサード リンク
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