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フジノスラッガーは日本の競走馬である。1995年の中山大障害(秋)に優勝した。 競走馬としてのデビューは遅く、1993年8月7日の4歳未勝利戦。ここは8着と敗れるが、2戦目で初勝利を挙げる。しかしその後は芝の中長距離の競走に出走するも好成績を残すことは出来ずに1994年7月より障害競走へ転向する。すると初戦は8番人気の低評価を覆して勝利を収めると、昇級後も安定した成績を収め4戦目で400万下競走で2勝目を挙げると中1週で中山大障害(秋)に挑むことになった。 1994年の中山大障害(秋)は3連覇を目指すブロードマインドと5連勝で前走京都大障害(秋)を制したタイヤンの2強体制と見られたが、レースではそのタイヤンが大生垣で落馬競走中止。後方を進んでいたフジノスラッガーは最終障害を過ぎて逃げるブロードマインドを交わしたが、ゴール手前で最低人気のローズムーンに差され2着に終わった。 翌1995年は長期休養後11月19日の障害オープン競走で復帰。ここを5着として中山大障害(秋)に向かった。同年のこのレースはブロードマインド、そして春に快進撃を続けたリターンエース、春の大障害勝ち馬ダイカツストーム、東京障害特別(秋)、京都大障害(秋)を連勝したグレートリーフを全て故障で欠いたため、6頭立て、重賞勝ち馬なしという状況であり、前年の2着馬であるフジノスラッガーが1番人気に支持された。レースでは前半の難関、大竹柵でポレール、メジロシャガール、オキノリュウジンの3頭が落馬。後方にいたフジノスラッガーもバランスを崩しかけたが踏み止まり、この時点で3頭立ての競走となる。3番手となっていたフジノスラッガーは大生垣でメジャーウィナー、最終の3コーナーでジハードウインをかわすと後は独走。2着のメジャーウィナーに2.2秒の差をつけて優勝した。 1996年は中山大障害(春)に直行したが、中段に位置するもズルズルと後退、最終障害手前で故障により競走中止した。レース後、左前浅屈腱断裂と診断され、これが現役最後の競走となった。現在は長野県軽井沢町の乗馬クラブで乗用馬として飼育されており、高齢なるも全般的には健康(昨秋には練馬区民大会に出場し、入賞もしている)である。中山グランドジャンプの後輩のビッグテーストに懐かれている。 == 血統表 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フジノスラッガー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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