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フジヤマケンザン : ウィキペディア日本語版
フジヤマケンザン

フジヤマケンザン1988年4月17日 - )は日本競走馬種牡馬
1991年に中央競馬でデビュー。同年菊花賞3着などの実績を残したのち、1992年以降は中距離戦線で活躍をはじめ、1995年末には香港国際競走のひとつ・香港国際カップ(香港G1・国際G2)において日本馬として36年ぶりの国外重賞制覇を果たし、同年のJRA賞最優秀父内国産馬に選出された。1996年には当時の最高齢タイ記録である9歳でのJRA重賞勝利を挙げている。通算38戦12勝。1997年より種牡馬となったが産駒に活躍馬はなく、2005年以降は功労馬として余生を送っている。
''※馬齢は日本で2000年以前に使用された旧表記で記述する。''
== 経歴 ==

=== 生い立ち ===
1988年、北海道早来町の吉田牧場に生まれる。父ラッキーキャストは吉田牧場が国外から輸入したマイスワロータイプキャストの子。その姉には天皇賞(秋)に優勝したプリテイキャストがいたが、ラッキーキャストは屈腱炎により競走馬としては不出走のまま引退して種牡馬となり、毎年吉田牧場の牝馬数頭と交配されていた程度の存在であった〔『優駿』1992年5月号、p.140〕。母ワカスズランも競走馬としては実績がなかったが、吉田牧場伝統の牝系・丘高(クモワカ)系の出身であり、その伯父には八大競走で2勝を挙げ「流星の貴公子」と呼ばれたテンポイントが、兄にもワカテンザンワカオライデンといった活躍馬がいた。父母の血統はいずれも吉田牧場の代名詞といったものであった〔『週刊100名馬vol.45 フジヤマケンザン』p.48〕。
幼駒の頃から身体は大柄、性格は温順かつ図太い精神力を備えていた〔『週刊100名馬vol.45 フジヤマケンザン』p.33〕。その落ち着きぶりは、生後数カ月にして、母馬を失った同齢馬の守役を任されるほどであった〔。この精神面の強さは、後年競走馬となってから各地を転戦していくうえで重要な要素となっていく〔。
競走年齢の3歳に達した1990年、競走名「フジヤマケンザン」として、かつて両親も管理していた滋賀県栗東トレーニングセンター戸山為夫厩舎に入る〔『週刊100名馬vol.45 フジヤマケンザン』pp.4-5〕。馬名の「フジヤマ」は馬主の藤本龍也が使用する冠名、「ケンザン」は「剣山」を意味する〔『週刊100名馬vol.45 フジヤマケンザン』p.10〕。後に香港へ遠征した際には「ケンザン」の部分を省略した「富士山」と表記された〔。
牧場時代から大食いで知られた〔フジヤマケンザンの体重は当時570kgほどあり、当時調教助手だった森秀行は第一印象で「デカイ馬だな」と感じたと述べている〔『週刊100名馬vol.45 フジヤマケンザン』pp.28-29〕。戸山厩舎は非常なハードトレーニングを行うことで知られていたが、大柄なフジヤマケンザンは脚部への負担が大きく故障のおそれがあったため、あまり強い調教は掛けられず、デビューは翌1991年まで遅れた〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フジヤマケンザン」の詳細全文を読む



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