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フュステル・ド・クーランジュ : ウィキペディア日本語版 | フュステル・ド・クーランジュ
ヌマ・ドニ・フュステル・ド・クーランジュ(Numa Denis Fustel de Coulanges、1830年3月18日 - 1889年9月12日)は、19世紀のフランスの中世学者。 == 生涯 == 祖先はブルターニュ出身で、父や祖父は海軍士官をつとめた。パリで生まれ、生後1年3ヶ月で父を失う。1853年にエコール・ノルマル・シュペリウールを卒業すると同時に、アテネ・フランス学院の研究生に選ばれ、2年間をアテネで遊学した。この期間で彼がもっとも好んで訪れたのはキオス島であり、それは処女作「キオス島についての覚書」として結実した。帰国後、5年間を中学教師として過ごし、1860年にはストラスブルク大学の教授に任命された。代表作『古代都市』(『La Cité Antique』)は、大学で行われた連続講義によるものであったが、当時クーランジュは無名であり自費出版で600部が公にされたに過ぎなかったという。1870年に文相であり歴史家でもあったヴィクトール・デュリュイに推薦されて、母校のエコール・ノルマルの教授に任命され、ついで1875年にソルボンヌ大学に転じ、1880年にはエコール・ノルマルの校長となり、1883年にソルボンヌに復帰した。学問上の刻苦勉励、過労により病を得て59歳でパリに没する。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フュステル・ド・クーランジュ」の詳細全文を読む
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