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フライングチルダーズ : ウィキペディア日本語版
フライングチルダーズ

フライングチルダーズ(、または単にチルダーズ''Childers''、もしくはデヴォンシャーチルダーズ''Devonshire Childers''、1714年 - 1741年)は、イギリス競走馬種牡馬。近代競馬における最初の名馬とも言うべき馬で、18世紀3名馬の一頭に数えられている。全弟エクリプスの3代父バートレットチルダーズがいる。
名前はレオナルド・チルダーズの持ち馬ということで「チルダーズ」と呼ばれたが、のちにデヴォンシャー公爵の手に渡り「デヴォンシャーチルダーズ」とも呼ばれるようになった。また、飛ぶように早いという意味で「フライングチルダーズ」とも呼ばれ、現在ではこの名称がもっとも有名となっている。
== 生涯 ==
フライングチルダーズが活躍した時代は、まだエプソムダービージョッキークラブも設立されておらず、サラブレッドという言葉も定着していなかった。フライングチルダーズ自身競走用に使われる前は、郵便物を運んでいたという話も残っているように、当時は競走目的のみにサラブレッドが生産されていたわけではないことがわかる。血統的には、本馬の父はダーレーアラビアンで、母方も牝祖がめずらしいアラブ系輸入繁殖牝馬であるフェアファックスバルブメア(6号族の祖、1610年ごろに輸入されたバルブ種?)であることに代表されるようにすべてアラブ種やターク種、バルブ種で占められており、アラブ馬の特徴を色濃く残している。体高も15.2ハンド(約154.4センチメートル)と現在の馬に比べれば一回り小さかった。
記録では1721年から1723年の3年間に8競走(うち3戦は相手棄権)に出走し、すべて圧勝した。1721年4月26日ニューマーケットで行われたスピードウェルとの500ギニーを賭けたマッチレースが最初の競走だが、この競走で非常な強さを発揮したフライングチルダーズ相手に賭け勝負を挑むものはいなくなり、以後は多くが無賞金のテストマッチである。同じ年に行われたアルマンザおよびブラウンベティとのテストマッチは詳細に記録されており、ニューマーケットの周回コース、3マイル6ハロン93ヤード(約6120メートル)で行われた競走は、2マイル付近から相手を離し始め、最終的に6分40秒で大差勝ちしたとある。しかもフライングチルダーズは9ストーン2ポンド(約58キログラム)、ほかの2頭は8ストーン2ポンド(52キログラム)というハンデ差だったという。1722年には強豪フォックスを相手に400メートル(4分の1マイル)もの大差を付けて圧勝。また、相手不明だが4マイル1ハロン138ヤード(約6765メートル)のテストマッチを行い7分30秒で走破した。10月22日にはチャンターを相手にした1000ギニーのマッチレース(6マイルオーバー)でふたたび勝った。このあと2つの競走が予定されていたが、ともに相手が棄権している。
ほかに、伝説的な話ではあるが1マイル(約1608メートル)を1分(現在の記録1分31秒)で走破した話も残っている、時速に直すと約96km/hという考えられない数字となる。そもそも6120メートルの距離を6分40秒、6765メートルを7分30秒で走ったというのもかなり怪しい。しかしながら、タイムなどはいい加減だったとしても当時の人たちにそれほどまでに強い印象を与えたということだろう。実際、かなり遅くまでこの時計は事実だと信じられていた。
引退後は馬主のデヴォンシャー公爵のもとで供用された。交配相手には恵まれなかったと言われるが、それでもブラックレグズ、ブレイズなどの産駒を輩出した。後世の集計によれば、1730、1736年のイギリスリーディングサイアーを獲得したとのことである。その後スニップの産駒スナップが種牡馬として成功したが、子孫はエクリプスと同世代で13戦不敗のゴールドファインダーを最後の名馬としてサラブレッドとしては滅亡した。滅亡直前の1788年メッセンジャーという馬がアメリカに渡り、この馬の子孫がスタンダードブレッドの成立に大きく関わったため、スタンダードブレッドとしては父系を残した(フライングチルダーズ系を参照)。スタンダードブレッドの父系を遡ると、すべてフライングチルダーズにたどり着くことができる。
そのほか、1972年以降、ドンカスター競馬場にてフライングチルダーズを記念するフライングチルダーズステークス(5ハロンG2)が行われている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フライングチルダーズ」の詳細全文を読む



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