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フライング・タイガース : ウィキペディア日本語版 | フライング・タイガース
フライングタイガース(Flying Tigers)(ˈtaɪɡə(r)z (「フライング タイガーズ」に近い)中国語繁体字:飛虎隊、簡体字:、ピン音:''Fēi Hǔ Duì'')は日中戦争時に中国国民党軍を支援したアメリカ合衆国義勇軍(American Volunteer Group; AVG)の愛称であるが、戦闘機(100機)やパイロットは米国政府が用意しており、実質、義勇軍の名を借りた米国の対日戦闘部隊であった。また、実際に戦闘に参加し始めたのは日米開戦後であったため、このような経緯から「義勇軍」の意義もうやむやになった。 == 支那事変の勃発 == 1937年の盧溝橋事件から日本と中華民国との間では急激に緊張が高まりつつあった。両国との間では戦闘と交渉が何度も行われたが和平調停は成立せず、第二次上海事変により両国は本格的に戦闘状態(日中戦争)に突入した。戦争は1938年に入ると更に激しさを増し、日本軍による海上閉鎖と航空機による爆撃により中華民国軍の重要な貿易港であったポルトガル領マカオが事実上日本軍の手に渡った。日本軍はさらに中国沿岸の港を全て閉鎖し、1938年後半に入ると海上からの一切の補給路の閉鎖に成功した。 国民党政府は中国内陸部の 重慶に首都を移動させ抵抗を続けていたが、海上補給路を断たれた後の補給はフランス領インドシナ(=「仏印」、現ベトナム、ラオス、カンボジア)、やイギリス領ビルマ、タイ王国などから陸路と空路で細々としか行えなくなった(この「援蒋ルート(仏印ルート)」を切断するため、日本軍はのちに北部仏印進駐を実施した)。 1939年に入り日本軍の作戦範囲は小規模となったが、その間国民党軍は友好関係にあったソ連製の航空機により日本軍の航空機に僅かに損害を与えていた。しかし爆撃機主体の攻撃だったことや、1940年の秋ごろから投入してきた日本軍の新型機零式艦上戦闘機の投入により中国空軍の形勢は一気に不利になり、殆どの戦線で活動を停止。南京陥落後、国民党政府の臨時首都だった重慶にも日本軍の圧力が高まった。
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