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フラワー・トラベリン・バンド(Flower Travellin' Band)は、1970年にデビューした日本のロックバンド。 ==来歴== === 結成から解散まで === 内田裕也とザ・フラワーズがメンバー交代で元4.9.1(フォー・ナイン・エース)のジョー山中(ボーカル)、元ビーバーズの石間秀樹(ギター)、元ザ・タックスマンの上月ジュン(現小林ジュン、ベース)、和田ジョージ(ドラムス)4人による体制になり1970年2月に改名し再出発。内田裕也はプロデュースを担当し、日本コロムビアから日野皓正・クインテットとシングルを一枚発表したあと10月に日本フォノグラムでアルバム『Anywhere』を発表。同年に開かれた大阪万国博覧会の出演中に知り合ったカナダのロックバンド、ライトハウスに見出されメンバーはカナダへ渡る。地元でライブ活動を重ね評価を上げた彼らはアメリカのアトランティック・レコードと契約し4月にアルバム『SATORI』をアメリカとカナダで発売(日本はワーナー・パイオニアから)。同アルバムと、シングル・カットされた「SATORI Part2」がカナダのチャートに入る〔『AERA』2008年7月14日号〕。また、ライトハウス、ELP、ドクター・ジョンなどのミュージシャンと競演ライブも行った。 1972年3月の帰国後、篠原信彦(キーボード、ex.ハプニングス・フォー)がサポートメンバーとしてバンドに参加〔。全国縦断コンサートを行い、さらに1973年1月に来日するローリング・ストーンズの前座を務める予定だったが、来日は中止になり大きなチャンスを逸してしまう〔。1973年2月、アルバム『Make Up』を発表。同年4月、京都円山公園音楽堂で行われたコンサートを最後に解散する〔。 解散後、石間と篠原は新六文銭の元メンバーらと共にトランザムを結成、他のメンバーはソロで音楽活動を続けたが、上月ジュンは後にカナダで事業家に転じた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フラワー・トラベリン・バンド」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Flower Travellin' Band 」があります。 スポンサード リンク
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