翻訳と辞書
Words near each other
・ フランク・キャッスルマン
・ フランク・キャプラ
・ フランク・キャロル
・ フランク・キルローマイルハンデキャップ
・ フランク・キレン
・ フランク・キーナン
・ フランク・ギャンバレ
・ フランク・クラウス
・ フランク・クリスティーナ
・ フランク・クレア・スタジアム
フランク・クロセッティ
・ フランク・クーヘル
・ フランク・グラント
・ フランク・グリロ
・ フランク・グリーベ
・ フランク・グートシュミット
・ フランク・ケルソー2世
・ フランク・ケロッグ
・ フランク・ゲーリー
・ フランク・コギンス


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

フランク・クロセッティ : ウィキペディア日本語版
フランキー・クロセッティ

フランキー・クロセッティ(Frank Peter Joseph "Frankie" Crosetti、 1910年10月4日 - 2002年2月11日)は、1930年 - 1940年代に活躍したアメリカメジャーリーグの野球選手。ポジションは遊撃手カリフォルニア州サンフランシスコ生まれ。右投げ右打ち。ニックネームは"Crow"のこと)。選手及びコーチとして40年以上ヤンキース一筋で活躍した守備的内野手。コーチ時代を含めると通算17度のワールドシリーズ制覇に関わっている。
==来歴・人物==
1930年にパシフィックコーストリーグのサンフランシスコからヤンキースに入団。1932年にメジャーに昇格し、リン・ラリーに代わってレギュラーの遊撃手となった。当時豪華な打線を誇っていたヤンキースの中では最も守備的な選手で、打率は1936年の.288がキャリア最高と打つ方はぱっとしなかったが、広い守備範囲と足の速さを徐々に発揮するようになった。1936年からは5年続けてリーグで最も多い死球を受けながら、毎年ほぼフル出場を続けた。1936年から1939年には4年続けて100得点以上を記録し、1938年には27盗塁でリーグの盗塁王となった。
1930年代後半は守備面での活躍も目立ち、1938年と1939年は当時の二塁手ジョー・ゴードンとのコンビでリーグ最多の併殺を取っている。この頃クロセッティは隠し球も駆使するようになり、キャリアでは通算6度、1937年シーズンには1年で3度の隠し球を成功させた。
1940年代に入るとショートのレギュラーはフィル・リズートらが取って代わり、クロセッティは二塁や三塁を守ることも多くなった。1946年からはコーチ兼任選手となり、1948年を最後に選手を引退したが、ヤンキースのコーチはその後1968年まで20年以上にわたってつとめている。ヤンキースを離れた後、1969年にシアトル・パイロッツ(現ミルウォーキー・ブルワーズ)、1970年と1971年の2年間ミネソタ・ツインズのコーチをつとめた。2002年にカリフォルニア州で死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フランキー・クロセッティ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Frankie Crosetti 」があります。



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.