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フランク・シュルト
フランク・シュルト(Frank M. Schulte、 1882年9月17日 - 1949年10月2日)は、1900~1910年代に活躍したアメリカ・メジャーリーグの野球選手。ポジションは外野手。ニューヨーク州コホークトン生まれ。右投げ左打ち。ニックネームは"Wildfire"(ワイルドファイアー)。主にシカゴ・カブスで活躍した強打者で、1911年にナショナルリーグ最優秀選手賞の最初の受賞者となった。 == 経歴 == ドイツ移民の子としてニューヨーク州で生まれる。1902年にニューヨーク州リーグのシラキュース・スターズに入団しプロの選手となり、1904年にシカゴ・カブスに昇格し、翌年からカブスの外野手のレギュラーとなる。1906年にリーグ最多となる13本の三塁打を記録し、同年のワールドシリーズに出場した時は、チーム打率が2割に満たない中で3本の二塁打を含む7安打、3打点と気をはいた。 シュルトは1910年にリーグ最多となる10本の本塁打を放ち、更に1911年には21本の本塁打と107打点を記録、三塁打21本、二塁打30本に加え23盗塁も記録するなど活躍し(20-20-20クラブ)、アメリカンリーグのタイ・カッブと共にこの年表彰が始まったリーグの最優秀選手の最初の受賞者となった。二塁打・三塁打・本塁打・盗塁の4つの部門で20個以上を記録したのはメジャー史上初めてのことで、これは1957年にウィリー・メイズが達成するまでメジャーリーグ唯一の記録だった。 その後打撃成績は徐々に落ち、シュルトは1916年シーズン中にカブスからパイレーツに移籍するが、1917年には打率が2割1分台まで落ち込む。1918年にはセネタースに在籍したが、所有する農場の火災によって財産を失うなどの悲劇に見舞われ、この年を最後にメジャーリーグから引退。その後ニューヨークのマイナーリーグ球団ビンガムトンの選手兼任監督などを経て、1923年までマイナーリーグで選手としてプレーした。引退後はカリフォルニアに移住し、1949年にオークランドで死去した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フランク・シュルト」の詳細全文を読む
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