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フランク・ボーゼイギ(Frank Borzage (/bɔrˈzeɪɡiː/), 1893年4月22日 - 1961年6月19日)はアメリカ合衆国の映画監督。第1回と第5回アカデミー監督賞を受賞した。サイレント映画時代からトーキー映画時代への変遷を経て1950年代まで活躍した。 ハリウッドの大物監督の中でサイレント映画とトーキー映画時代をまたがった監督、ジョン・フォード、ハワード・ホークス、キング・ヴィダーを含むが、フランク・ボーセイギもその中の一人であろう。彼はサイレント映画とトーキー映画時代にアカデミー監督賞を受賞しているが、彼の作品は1930年代には大変広く親しまれており、たとえ経営的に成功しなくても批評家の受けは良く、1940年代も1950年代終わりまで高い評価を得ていた。 代表作にアカデミー監督賞に輝いた『第七天国』(1927年)と『バッド・ガール』(1931年)をはじめ、『戦場よさらば』(1932年)、『歴史は夜作られる』(1937年)などがあり、いずれの作品にも共通するセンチメンタルでロマンティックなドラマ性がボーゼイギの持ち味であった。 == 略歴 == === 映画界にデビューするまで === フランク・ボーゼイギはスイス、イタリア、そしてオーストリアの家系であり、ユタ州ソルトレイクシティ生まれ、イタリア語を話す石工の父親と、ドイツ語を話す母親の間に8人兄弟の4番目として生まれた。彼は西部の子供であったが、父親の労働を手伝うため13歳になる頃には金鉱で働いていた。だが、少年時代にはすでに旅役者の劇団に入り、役者を始めていた。彼が映画界に入ったのは1910年代で、ウォレス・リード主演のアラン・ドゥワン制作の西部劇のエキストラとして働いていた。しかし、1913年、20歳の時にプロデューサーで監督であったトマス・インスの元で働くようになる。彼は助演から、軽い主演を務めるようになり、悪人としても助演することもあった。しかし、1914年『The Wrath of the Gods』で青木鶴子と共演し、一躍スターダムにのし上がる。この時代に映画出演は110本を越えた。 彼は、インスのために数本の映画に出演後、『The Pitch O'Chance』で俳優と監督を兼任した。この時代は、ジョン・フォードが兄のフランシス・フォード(後に俳優に転ずる)よりその才能を認められ監督業を始め、ヘンリー・キングが監督の椅子に座り、キング・ヴィダーはすでにフィルムメーカーとして認められるなど、後の巨匠たちが支配する時代となる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フランク・ボーゼイギ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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