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フランク・ラムジー(Frank Ramsey, 1931年7月13日 - )はアメリカ合衆国ケンタッキー州コリドン出身のバスケットボール選手。出身大学はケンタッキー大学。NBAのボストン・セルティックスが1950年代後半から1960年代に掛けて達成した伝説的な八連覇時代の主力選手の一人であり、シックスマンとして活躍した最初期の選手である。1982年には殿堂入りを果たした。 ==経歴== ===大学キャリア=== フランク・ラムジーことフランク・ヴァーノン・ラムジー・ジュニアはマルチな才能を有していたスポーツ選手であり、ケンタッキー大学時代はバスケットはもとより、野球選手としても活躍した。バスケットでは伝説的なコーチ、アドルフ・ラップの指導の下、アレックス・グローザやクリフ・ヘイガンらと共にプレイし、2年目の1951年のNCAAトーナメントでは決勝でカンザス州立大学を破り、優勝を果たした。 しかしラムジーは1952年にカレッジバスケ全体を揺るがした一大スキャンダルに巻き込まれた。そのスキャンダルとは金銭授受が絡んだ八百長疑惑であり、カンザス大学も渦中のチームとなり、ラムジーのチームメイトであるアレックス・グローザらが容疑を認めた。結果カンザス大学は全米大学体育協会では最も重い罰となる出場停止処分(デス・ペナルティー)を受け、ラムジーは4年目のシーズンを棒に振った。 大学を卒業したラムジーは1953年のNBAドラフトでボストン・セルティックスから全体5位指名を受け、さらに彼のチームメイトのクリフ・ヘイガン、Lou Tsioropoulosもセルティックスから指名をうけたが、3人はすぐにNBA入りはせず、失ったシーズンを取り戻すために大学院生となってケンタッキー大学に戻った。ラムジーは1953-54シーズンに平均19.6得点の好成績を記録し、チームも25戦全勝、AP通信の全米ランキングでは1位にランキングされた。しかしNCAAトーナメントでは全米大学体育協会が大学院生のトーナメントの参加を禁止していたため、アドルフ・ラップはトーナメントへの参加を辞退した。ラムジーの大学通算成績は1344得点1038リバウンドだった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フランク・ラムジー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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