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フランク・ヘンリー・レッサー(Frank Henry Loesser ; 1910年6月29日 - 1969年7月28日)はアメリカ人のソングライター。 ブロードウェイのヒット作でトニー賞受賞作の『ガイズ&ドールズ』と『ハウ・トゥー・サクシード』(ピューリッツァー賞も受賞)などの作詞作曲をした。 映画やミュージカルなどに無数の曲を書き、多くがスタンダードとなり、アカデミー賞最優秀主題歌賞に5回入選、『外は寒いよ』で1回受賞した。 == 初期 == ピアニストの父ヘンリーのもとニューヨークで生を受け〔Frank Loesser biography , pbs.org, accessed December 5, 2008〕、 マンハッタン西107番通りの家で育つ。 父はプロイセン王国の兵役をのがれて渡米、親族の銀行につとめた。ベルゼ・エーリッヒと結婚、1884年長男アーサー誕生。1888年に妻の妹ジュリアがアメリカにやってくる。ヘンリーは一目ぼれ。ジュリアもヘンリーを愛したが、ベルゼがジュリアをワシントンD.C.においはらう。ベルゼが産褥で亡くなったあとの1907年、ジュリアがもどってきてヘンリーと結婚。長女グレースは同年11月に生まれた。そして1910年にフランクが誕生。 両親は高い知性と教養があり、レッサーはヨーロッパの作曲家の音楽を学んだ〔。 父と兄からピアノをならう。が、上流気どりの音楽が好きになれず、曲を書いてハーモニカにハマってからは突っぱねた。高校からほうり出されニューヨーク市立大学に通うも〔、1925年に英語と体育以外のすべての単位を落とし、大学からも放校された。〔 1926年(16歳)に父が死に、家族をやしなうために働きに出た。レストラン調査員や行政執行官(裁判所の令状を被告に届ける職業)、新聞の広告取り、政治マンガ描き、ボードヴィルのスケッチライター、『日刊女性服』新聞の編み物担当、弱小映画会社の広報、短命におわった地域新聞(区民便り)の編集員などを経験した。 〔〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フランク・レッサー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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