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フランシスコ・ミゲル・ナルバエス・マチョン : ウィキペディア日本語版 | フランシスコ・ミゲル・ナルバエス・マチョン
キコ (Kiko) ことフランシスコ・ミゲル・ナルバエス・マチョン(Francisco Miguel Narváez Machón, 1972年4月26日 - )は、スペイン・ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ出身の元サッカー選手。スペイン代表であった。1990年代のアトレティコ・マドリードを代表するフォワードである。 == 経歴 ==
=== クラブ === カディス県・ヘレス・デ・ラ・フロンテーラに生まれ、地元のカディスCFで育った。1991年4月14日のアスレティック・ビルバオ戦(2-3)でデビューした。1990-91シーズンは5試合に出場しただけだったが、6月9日のレアル・サラゴサ戦(2-1)では83分にペナルティキックで決勝点を挙げた。カディスCFはプリメーラ・ディビシオン(1部)残留が危ぶまれていたが、この得点でプレーオフ進出を果たし、プレーオフではCDマラガを破って残留を決めた。1991-92シーズンからの2シーズンは絶対的なレギュラーとしてプレーしたが、1992-93シーズン終了後にセグンダ・ディビシオン(2部)降格が決定し、チームメイトのホセ・マリア・ケベド(José María Quevedo)とともにアトレティコ・マドリードに移籍した。1995-96シーズンには得点とアシストを量産し、リーグ戦とコパ・デル・レイの2冠に輝いた。アトレティコ・マドリードは1999-2000シーズン終了後にセグンダ・ディビシオン(2部)降格が決定したが、キコはチーム残留を決意した。しかし、1999-2000シーズンと2000-01シーズン合計で52試合に出場して1得点に終わっている。2001年にはセグンダ・ディビシオンのCFエストレマドゥーラに移籍し、長年プリメーラ・ディビシオンでプレーしたFWピエル・ルイジ・ロッジ(Pier Luigi Cherubino)とコンビを組んだ。半年間プレーし、その後現役引退した。
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