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フランシス・ジャム(Francis Jammes、(1868年12月2日 - 1938年11月1日))は、フランスの叙情的な詩人。素朴な易しい言葉で、山野・生物、少女、信仰などをうたった。 == 生涯 == スペインと接するオート=ピレネー県の、トゥールネ(Tournay)に生まれた。1874年、町の小学校に入ったが、いじめられ、通学を嫌った。収税吏の父が転勤を重ね、フランシスはポー、次いでボルドーのリセに入ったが、散策や採集を好んで、学業には身を入れなかった。 1888年(20歳)、大学入学資格試験に落ち、文学への傾斜を深めた。同年父が没し、母と姉と、フランス南西端ピレネー=アトランティック県の、オルテーズ(Orthez)に移った。父祖代々の地であった。翌年公証人事務所に勤めてやめ、詩作に打ち込み、1891年の『6つのソネット』を皮切りに詩集を出し、それらがステファヌ・マラルメやアンドレ・ジッドに認められた。 1895年(27歳)、初めてパリに遊びはしたが、オルテーズを好み、その山野・鳥獣・草花、そして少女らを愛し続けた。1896年、ジッド夫妻の北アフリカ旅行に合流した。1897年、文芸誌上に、自らの文学姿勢のマニフェスト『ジャミスム宣言』を載せた。 初期の詩の朴訥なうたいぶりは、清新だ衒いだと褒貶が割れたが、力強さを加えた1898年の『明けの鐘から夕べの鐘まで』で、世評が定まった。 1900年、ポール・クローデルを知り、カトリックの信仰を固め、1905年、聖地ルルドへの巡礼に、クローデルと連れ立った。 この前後、少女に恋しては破れ、また、『クララ・デレブーズ』(1899年)、『アルマイード・デトルモン』(1901年)、『ポム・ダニス』(1904年)など、「少女もの」を書いた。 1907年(39歳)、カトリックの女性、ジュヌヴィエーヴ・ゲドルプ(Geneviève Goedorp)と結婚した。1912年、オルテーズ教区の参事会員となり、1914年の第一次世界大戦開戦のときは、オルテーズの野戦病院を管理した。1921年、バス=ピレネー県(現在のピレネー=アトランティック県)のアスパラン(Hasparren)へ移った。1922年、レジオン・ドヌール勲章の授与を辞退した。なお、アカデミー・フランセーズには、何度か立候補して当選できなかった。 その後も活発な文筆活動をしたが、1938年(70歳)アスパランの自宅で没した。村の墓地に小さな十字架が立てられた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フランシス・ジャム」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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