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ピム男爵フランシス・レズリー・ピム(, , PC、1922年2月13日 - 2008年3月7日)は、イギリスの政治家。外務大臣を務めた。 1922年、ウェールズ、モンマスシャー州アバガヴェニー近郊で生まれ、イートン・カレッジおよびケンブリッジ大学モードリン・カレッジで学んだ。第二次世界大戦中は、副官および陸軍大尉として北アフリカ戦線やイタリア戦線で戦い、を受章している。退役時の階級は陸軍少佐。 1959年の選挙では敗れたものの、1961年に行われたケンブリッジシャーの補欠選挙で当選し、庶民院議員となった。その後1987年まで庶民院議員を務めた。 1964年から党の院内幹事に就任し、エドワード・ヒース政権下の1970年から1973年には与党保守党の院内幹事として、また1973年から1974年にかけては北アイルランド大臣として入閣し政権を支えた。また、1979年から1981年には、マーガレット・サッチャー首相の下で国防相を務めた。さらに、1981年から1982年まで庶民院議長および枢密院議長の職に就いた。1982年、フォークランド紛争の最中に第6代キャリントン男爵ピーター・キャリントンが外相を辞任したためピムが後任となり、紛争期間中外相を務めた。しかし、1983年の総選挙の後、ピムは閣僚名簿から外されてしまった。 ピムは、サッチャー政権下では穏健派(Wets)と見なされていた。1983年の総選挙の期間中も、ピムはBBCの「クエスチョン・タイム」という番組で「地すべり的勝利は、概して立派な政権を作らない」と考えていると発言した〔BBC News. Thatcher's Class of '79 〕。しかし、これは保守党党首であったサッチャーによって否定された。 1987年の総選挙で議員を引退すると、一代貴族ピム男爵に叙せられた。1989年、脚本家のジョナサン・リンは、BBCのコメディドラマ「''Yes, Prime Minister''」でピーター・カートライトが演じた院内総務は、ピムが手本になったと述べている。 なお、ピムは、17世紀の政治家ジョン・ピムの子孫と一般的に思われているが、これは誤りである。 ==参考== 〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フランシス・ピム」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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