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フランスのユーロビジョン・ソング・コンテストでは、フランスにおけるユーロビジョン・ソング・コンテストについて述べる。フランスはユーロビジョン・ソング・コンテストの歴史の中で最も成功した国の一つであり、1956年大会で初出場してから2008年までに大会に52回参加している。フランスはユーロビジョンが初めて行われたときに参加した7箇国の一つであり、歴史上、欠場したのは1974年大会と1982年大会の2回のみである。50回を超える参加経歴の中で、最下位となったことは2008年に至るまでなく、7回は最下位より一つ上に終わった。 フランスでのユーロビジョン大会の放送を担当する放送機関も変遷を続けている。1956年から1973年まではRadiodiffusion-Télévision Française(RTF)およびOffice de Radiodiffusion Télévision Française(ORTF、1964年6月にRTFから改組)がフランスでの放送を担当した。1975年からはTF1がこれに代わり、1981年に撤退した。1983年からはフランス・テレビジョンがフランスでの放送を引継ぎ、2008年の時点まで同局がフランスでの放送を担っている。 2004年に準決勝が導入された際、フランス・テレビジョンの娯楽系チャンネルフランス4が準決勝を放送する一方、総合系チャンネルフランス3はフランス代表を選ぶ国内選考を企画し、本選の決勝も放送した。 == 不参加 == 1956年の初参加以降、2008年までの間にフランスが同大会に出場しなかったのは1974年と1982年のみである。1974年、大会に参加する歌手と楽曲を選んだものの、フランス共和国大統領のジョルジュ・ポンピドゥーが大会の行われる週に死去したため参加を辞退した〔History - Eurovision Song Contest 1974 ''Eurovision.tv''〕。もし大会に参加していれば、フランス代表はダニ(Dani)で、曲は「La vie à vingt-cinq ans」を歌う予定であった。 1981年11月、TF1は1982年のユーロビジョン大会への不参加を決定し、TF1のエンターテイメントの最高責任者ピエール・ブーティエ(Pierre Bouteiller)は、「才能の欠如と楽曲の凡庸には苛立ちがこみ上げる。ユーロビジョンは虚無の記念碑だ。」と述べた〔1982 Eurovision source in French 〕。ユーロビジョンからの撤退を惜しむ世論に後押しされたフランス・テレビジョンがこれに代わって、1983年大会以降、フランス代表を選ぶ国内選考の主催をはじめとする、フランスにおけるユーロビジョン関連業務を引き受けた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フランスのユーロビジョン・ソング・コンテスト」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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