翻訳と辞書
Words near each other
・ フランス労働党
・ フランス労働党 (POF)
・ フランス南西部のワイン
・ フランス南部
・ フランス厚生省
・ フランス原子力学会
・ フランス原子力庁
・ フランス史
・ フランス史会館
・ フランス司法省
フランス君主一覧
・ フランス哲学・思想研究
・ フランス国
・ フランス国会
・ フランス国土監視局
・ フランス国家憲兵隊
・ フランス国家憲兵隊治安介入部隊
・ フランス国家警察
・ フランス国家警察介入部隊
・ フランス国家警察捜査介入部隊


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

フランス君主一覧 : ウィキペディア日本語版
フランス君主一覧[ふらんすくんしゅいちらん]

フランス君主一覧では、君主制時代のフランスの君主の一覧を示す。
== 概説 ==
フランスでは中世より1870年まで君主が支配した。フランスの支配者は主にを名乗り、後にボナパルト朝では皇帝を名乗った。「フランス」の成立時期には複数の見解が存在する。もっとも早くに遡ろうとするならば、486年、クロヴィス1世によってローマ帝国ガリアにおける軍司令官シアグリウスが倒され、 メロヴィング朝フランク王国が成立した時となるだろう。フランク王国は8世紀に分裂する。ヴェルダン条約により、843年西フランク王国が成立する。西フランク王国の支配域が、おおよそ今日のフランスへと展開していくこととなる。
この観点から、この表は843年、西フランク王国のシャルル禿頭王即位より開始している。それ以前のフランクの君主についてはフランク王の一覧を参照。
以下の表に掲載した以外に、1340年から1360年および1369年から1801年にかけては、イングランド王およびグレートブリテン王もフランス王の称号を自称した。ごく短い期間ではあるが、この称号が実際に一定の根拠を持っていた時期もある。すなわち、1420年のトロワ条約によりシャルル6世はその義子イングランド王ヘンリー5世を摂政および継承者として認めたのである。ヘンリー5世がシャルル6世に先立ったため、ヘンリー5世の子ヘンリー6世は祖父シャルル6世からフランス王の称号を継承した。北フランスの大部分は1435年までイングランドの支配下にあったが、1453年までにイングランドはカレー(およびチャンネル諸島)を除いたフランス全土から敗退し、カレーも1558年にフランスの手に落ちた。しかしながらイングランド王、のちグレートブリテン王は1801年のグレートブリテンおよびアイルランド連合王国成立までフランス王を自称し続けた。1337年から1422年の間にも、断続的に複数のイングランド王がフランス王を自称している。
君主号としては、フィリップ4世までは「フランクの王」()が用いられた。ナバラ王国の王位を兼ねたカペー朝末期(フィリップ4世以降)およびブルボン朝歴代の国王は「フランスとナバラの王」(roi de France et de Navarre)を称した。1791年憲法が効力を有した短い期間(1791年から1792年)および1830年の7月革命後には「フランスの王」(roi de France)ではなく「フランス人の王」(roi des Français)が用いられた。ボナパルト家の君主ナポレオン1世2世3世は「フランス人の皇帝」(empereur des Français)を使用した。
「フランス」の名はゲルマンの一部族であるフランク人に由来する。メロヴィング朝は伝説上の人物とされる部族長ファラモンに遡るが、実際に最初の王となったのはクロヴィス1世である。その死後、王国は息子たちの間でネウストリアパリブルグントおよびアウストラシアに分割される。その後も分裂とメロヴィング朝の王たちの間での闘争が続いた。
やがてメロヴィング朝はカロリング朝に取って代わられる。カロリング家は始めアウストラシアの宮宰であったが、徐々に統合を進め、クロヴィス以来のフランク王国全土統合を成し遂げた。小ピピンが王として即位することでメロヴィング朝は完全に終わる。小ピピンの子シャルルマーニュの広大な支配域は、ルイ敬虔王により分割される。ルイ敬虔王の子ロタール1世の治世下、843年にフランク王国は東フランク王国ロタリンギア西フランク王国へと分割された。シャルル禿頭王は西フランク王国の最初の王である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フランス君主一覧」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.