翻訳と辞書
Words near each other
・ フランソワ・ゴノン
・ フランソワ・シモン・コルディエ
・ フランソワ・シャサニート
・ フランソワ・シャトレ
・ フランソワ・シュイッテン
・ フランソワ・シューベルト
・ フランソワ・ジェニー
・ フランソワ・ジャコブ
・ フランソワ・ジャン・ドミニク・アラゴー
・ フランソワ・ジョセフ・ゴセック
フランソワ・ジョセフ・フェティス
・ フランソワ・ジョゼフ (ギーズ公)
・ フランソワ・ジョゼフ・タルマ
・ フランソワ・ジョゼフ・フェティス
・ フランソワ・ジョゼフ・ルフェーヴル
・ フランソワ・ジョルジュ・ピコ
・ フランソワ・ジョルジュ=ピコ
・ フランソワ・ジラール
・ フランソワ・スクイテン
・ フランソワ・ステイン


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

フランソワ・ジョセフ・フェティス : ウィキペディア日本語版
フランソワ=ジョゼフ・フェティス

フランソワ=ジョゼフ・フェティスFrançois-Joseph Fétis, 1784年3月25日 モンス - 1871年3月26日 ブリュッセル)はベルギー作曲家・音楽教師音楽学者
==生涯==
19世紀の最も影響力のある音楽評論家であった。『万国音楽家列伝 ''Biographie universelle des musiciens'' 』は、今日でも重要な音楽文献となっている。
エノー州モンスの出身。父親によって音楽教育を受ける。7歳にして作曲能力を発揮し、9歳にして地元のサント=ヴォードル教会のオルガニストに就任。1800年パリに行き、パリ音楽院フランソワ=アドリアン・ボイエルデュージャン=バティスト・レルイ=バルテレミ・プラデールの薫陶を受ける。
1806年に、ローマ式典礼聖歌の、本来の形態の再発見と再確立を望んで、その校訂に取り組む。同時年、代表的著作となった『万国音楽家列伝』の執筆に着手する(発表は1834年)。
1821年にパリ音楽院教授に任命される。1827年フランスにおける最初の音楽専門雑誌「ルヴュー・ミュージカル」を発刊。1833年ベルギー国王レオポルト1世の要望で、ブリュッセル音楽院院長ならびに宮廷楽長に就任するためパリを去る。
ブリュッセル音楽院における定例演奏会の創始者でもあり、没年までその指揮を続け、音楽史音楽美学に関する無料公開講座を開いた。歌劇オラトリオから素朴な歌曲に至るまで、大量の作品を作曲しており、交響曲協奏交響曲のような作品もある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フランソワ=ジョゼフ・フェティス」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.